2016年4月 7日 (木)

本日発売!

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 新刊です。山口組分裂抗争のあおりで、表紙が凄いことに。ちゃんとした歴史本のつもりですが、暴力団コーナーにしか置かれないでしょうね
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 内容は、日本史は土地争いの歴史であった。しかし租税がある以上は公地であって、歴史上で土地を私有(不輸不入=徴税に応じないし、徴税官を入れない)した勢力は、戦国大名(と徳川将軍家)しかありません。というもの。
 もうひとつ、ヤクザ(暴力団)が任意団体なので、収入に対する所得税が発生しないの、知ってますか? 壊滅作戦とかしないで、法人化して税金を取ればいいではないか。という主張です。
Dscn3244   もひとつ言えば、警察はぜったいに暴力団を壊滅できない。なぜならば、それが警察組織の縮小につながるからです。ということを、暴力団追放運動の利権構造から明らかにし、政治家とヤクザ(集票組織)の癒着を断ち、暴力団の利権を奪う、警察官僚たちの狙いを、体験的に立証する。そんなところです。
 歴史の本なのか「社会・事件」の本なのか、書店員を悩ますことになると思います(分類コードは歴史ですが)。それが版元の狙いでもあるわけで、このタイトルを成り立たせようとした著者(ワタシ)の苦労もお察しください。
 歴史好きには、こんなところが興味を惹くかも。
 ・道鏡神託事件は、藤原一門(貴族)の土地私有(荘園確保)のための謀略だった。
 ・和気清麿は道鏡の配下の者だった。・孝謙(称徳)女帝は密殺された?
 ・卑弥呼(ヒミコ)は日皇女か日巫女だった?
 ・桶狭間の合戦は、織田勢800対今川勢300の戦いだった!
 ・明智光秀は一向宗(浄土真宗)を味方にすれば、秀吉に勝てていた?
 
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2016年1月10日 (日)

謹賀新年@新刊のお知らせ

 おそくなりましたが、新年おめでとうございます。今年もどうかよろしく。Dscn3045
 今年は京都風のお雑煮をつくってみました。西京味噌に里芋、鶏肉、甘さこってりの出来ばえ。九州のお雑煮はおおむね、ブリをつかった澄まし醤油風味で、薄口醤油をつかうのが味のひみつ。東京ではあまり売ってませんけどね。
 新刊です。
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 例によって、大河ドラマ本は真田丸。今年のドラマの歴史考証は「真田幸村」が「信繁」だったこと。そして、その信繁がじつに気遣いの人で、お酒(焼酎)が好きだったことなど。当時、焼酎は手のかかるお酒で、高級酒でした、とか。Dscn3051

 ワタシの本の売りは、豊臣秀頼の父親問題。秀吉ではないのは言うまでもありませんが、石田三成でもありません。淀殿と三成は、家系が仇敵のうえに、史料上は接点がありません。
 そこで、本命は誰かというと、じつに原史料がありました。ある武将の国元への手紙と奈良・興福寺の日記に、おひろい様(秀頼)のおふくろ様(淀殿)の愛人は、誰それと。しかも、秀吉の遺言で家康と再婚させられそうになった淀殿は、その愛人と心中未遂……。
 むかしの昼メロとかじゃありませんよ。ちゃんとした一次史料にある史実です。「真田丸」のほうは緊迫感のないスタートでしたが、脇役の役者がいいので観ます。また何か、ここにアップします。
 

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2013年10月11日 (金)

月刊文藝春秋@歴史特集

 まだ暑い日がつづきますね。これでいきなり冬とかになられたら、秋の立場がありまっせん。最近、姪っこにブログを探知されて、あまりふざけたことが書けなくなった横山です。

 

 というわけで、テレビ出演のときは恥ずかしいばっかりだったので、録画もしていませんが、今回はちょっと報告しておこうと思います。天下の月刊文藝春秋の特集に、小文を書かせていただきました。

 活字離れとともに、大手各社の総合月刊誌が部数減、撤退を余儀なくされるなかで、市場分割戦に勝ち残ったのが左派系の『世界』と右派系とされる『文藝春秋』というわけで、これに載るのは、いわゆる「文化人」ということになります。ただし、前後が京大名誉教授とか東大教授なので、ワタシのスペースはわずか1ページ半という少なさ。ま、身の丈ですね。Dscn1854

 特集のタイトルは「歴史の常識を疑え」で、ワタシの論考は「倒幕の雄藩がなぜ『松平姓』なのか?」。この手の特集は新史料発見とか、いままであまり気にしていなかった史実とか、最近の流れですね。歴史好きには、ことさら新しい内容じゃありませんけど。
 

 短い文章なので、どうぞ立ち読みしてください

 

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2013年8月 1日 (木)

新刊、『最強剣豪大全』発売中

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新刊(共著)の宣伝。 『最強剣豪大全』、ダイアプレスから発売です。

 ワタシの論考は「剣術裏面史」。佐々木小次郎はいなかった、ではなく名前が絶対に違う(歌舞伎の役名だったから)。剣術は弱者の兵法だった(腕力の劣る人でも、術を覚えれば猛者に勝てるから)。合戦場ではぜんぜん役に立たなかった(弓と鉄砲による死傷者が大半で、攻撃的な槍にも勝てないから)。

 そんなような話をはじめ、他の筆者たちも剣豪伝説の危うさと真実をあますところなく暴露しております。ご購読のほど、よろしくお願いいたします。m(_ _)m

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2013年6月27日 (木)

宝島ムック

61fmxrbghl__sl500_aa300_ ちょっとですが、記事を書きました。宝島社の「忍者の正体

けっこうタブーに挑戦した中身になっています。

お買い上げは、こちら。宣伝でしたッ。

ではまた

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2010年3月 3日 (水)

研究テーマ@タイトルズ(笑)

 歴史研究のサーチエンジンに登録したり、戦国史研究というカテゴリーを作ったいじょう、少しはまともな論考で体裁を取り繕うような必要も出てきました。

 そこで、タイトルだけでも。

女足軽の遺骨 ――― 合戦場には数千人の女兵士たちがいた
女性の大名はいたか? ――― 戦国時代はもとより、江戸時代にも女性大名がいた
秀吉の墨俣一夜城はなかった ――― 江戸時代に創作された武勇伝
桶狭間合戦 ――― 迂回奇襲説は嘘だった
信長軍団の強さの秘密 ――― わずか800人の強者集団が天下をもたらした
長篠合戦 ――― 三千挺の鉄砲vs騎馬軍団はなかった
川中島合戦の原因は? ――― 信玄を驚愕させた武田氏の内紛
キツツキ戦法はなかった ――― 妻女山に布陣したのは上杉景勝だった
上杉謙信は女だった
本能寺の黒幕は誰だ?   
天下取り競争はなかった

 で、そのネタ元はといえば、

黒田基樹(駿河台大学准教授)
「戦国大名の危機管理」(吉川弘文館、歴史文化ライブラリー)
「百姓から見た戦国大名」(ちくま新書)

平山優(山梨大学講師、山梨県教育委員会県史編さん室主査)
「山本勘助」(講談社、現代新書)
「川中島合戦」(学研M文庫)

鈴木眞哉
「鉄砲隊と騎馬軍団―真説・長篠合戦」(洋泉社新書y)
「刀と首取り―戦国合戦異説」(平凡社新書)

桐野作人
「真説 本能寺」(学研M文庫)
「だれが信長を殺したのか」(PHP研究所)

白川亨
「石田三成とその子孫」(新人物往来社)

藤木久志
「飢餓と戦争の戦国を行く」(朝日選書)
「城と隠物の戦国誌」(朝日選書)

小和田哲男
「桶狭間の戦い」(学研M文庫)

工藤 健策
「信長は本当に天才だったのか」(河出文庫)  

 ざっとこんな感じになります。さて、軽いノリで解説してゆきますんで、ご期待ください。そのうちUPします

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2010年2月 7日 (日)

『合戦場の女たち』イントロ。

 すっかり自転車ブログになっちまったここですが、もとはといえば電子書籍の宣伝用のサイトでした。新刊が出て、いろいろと歴史系検索サイトに登録する関係上、ほんらいの役割にもどしつつ、自転車の情報もつづけていこうと思っています。Dscn5410_258

 そこでまずは、ここに来られた方が「なんだこれ、自転車乗りのブログじゃね」と混乱しないように、コンテンツを増やしていこうと思います。いろいろ解説するのも面倒なので、新刊のイントロ部分をUPしときます。つぎ、小説も歴史モノにしやしょう。来週、出版社の担当者に会います

 では、引用。

第一章 発掘された女性兵士たち

1 戦死者のうち、三人に一人は女性だった

 ここ十数年の文献史学の成果により、戦国時代の様相は大きく変わってきた。

 その様相の変化とは、各自治体史(県史・市町村史)の編纂によって、全国に散在していた一次史料の活字化が進み、史料研究が飛躍的に進捗したことである。活字化が進むことで、私たち一般の歴史愛好家にも一次史料が読まれるようになり、これまでの通説についての疑問も受け入れやすくなったといえるだろう。

 かつて、江戸時代に編纂された軍記書をもとに戦国時代を描いた「歴史ドラマ」や「歴史小説」なども、戦国時代の第一級の証言者である「書状」や「発給文書」の発見によって、その信憑性が葬り去られようとしている。さらには人類学や考古学史料の発掘によって、文献に記録されなかった史実まで明らかになりつつあるのだ。

 たとえば、戦国時代末期の天正八年に武田氏と北条氏とのあいだで戦われた沼津の千本松原の合戦場跡には、ほぼ当時のままの首塚が残されていた。この首塚に残された一〇五体ある戦死者の遺骨のうち、じつに三五体(三三・四パーセント)が女性のものだったと分析されているのだ(『骨が語る日本史』鈴木尚)。この女性たちは何者だったのだろうか。

 このときの合戦は『北条五代記』に、

「天正八年の春、(武田)勝頼駿河に出陣す。(北条)氏直も伊豆の国へ出馬し、三嶋にはたを立たゝかひ有。重須の兵船駿河海へ働をなすべきよし、氏直下知に付て、毎日駿河海へ乗出す。勝頼旗本は浮嶋が原、諸勢は沼津千本の松原より……」

 とあり、武田氏側にも勝頼発給の感状が認められるので、まちがいなく史実である。

 そのほかの中世の合戦場(鎌倉村木座・江戸崎など三カ所)に残された戦死者の分析でも、鈴木尚氏によるとおおむね三○パーセントが女性の遺骸だとされる。この事実をそのまま受け入れるならば、戦場で死んだ兵士のうち三人に一人は女性兵士だったということになる。鈴木氏の分析を少し引用してみよう。

「(貫通銃創が疑われる頭蓋の穿孔と)同じ小銃弾と思われる小孔は第三〇号頭骨(熟年の女性)の後頭部にもみられた。この女性は逃げるときに後から射たれたものであろうか」「(鋸で切断された四個の骨片のうち)骨片一は甚だ薄い骨であることから、成年の女性と推定される」「発見された遺骨の三分の二は男性、三分の一は女性と判断された。彼らは成年が主体で、熟年は僅であったが、老年と幼少年は全く認められなかった」(第7章、沼津千本松原の首塚)。

 千本松原の合戦は武田氏と北条氏の両軍の当主が出陣しているので、双方ともに数千~万単位の人員を率いての戦いだったと考えられる。かりに一万の軍勢だったとして、そのうち三千人が女性だったことになるのだ。

 さらには銃痕のある遺骨もみられるのだから、その女性たちは戦闘に参加していた可能性が高い。あるいは直接的な戦闘行為に参加しないまでも、戦場で夫や息子のために食事をつくり武具や具足のほころびを修理していただけでも、敵の矢玉の犠牲になることがあっただろう。それもまた前線の兵士としての役割というべきである。

 NHK大河ドラマの歴史考証などで有名な小和田哲男氏(静岡大学教授)は、最近の著書『戦国の合戦』『戦国の群像』の中でこの発掘例にふれ、

「ふだん私どもが目にする合戦図屏風などでは、戦場で戦っているのは男性ばかりが描かれているので、女性はほとんど戦場にいなかったのではないかと考えていたが、実際の場面では、男女の別はあまり意味をもたかなったのかもしれない」としている。

 あまたの先達が説いた歴史観によれば、戦国時代は女性にとって悲劇の時代だったのではなかったか? そう、小和田氏が「女性であるが故の性的被害もあった」と指摘するとおり、女性が乱取りに遭うシーンは大坂夏の陣図屏風に描かれている。

 戦国女性にとっての悲劇とは合戦だけでなく、物々交換にでもされるがごとき人質という運命に象徴されてきた。史実の戦国大名の娘たちはほぼ例外なく、家臣団との紐帯を強めるか隣国の大名との同盟関係のために政略結婚を強いられた。あるいは和議のための人質として他国に送られたのである。

 しかしながら、松永久秀が信長に叛旗をひるがえしたときにその息子たちが処刑されたように、戦国大名の息子たちも人質として悲惨な末期をたどった者は少なくない。彼らも娘たちと同様に一族の手駒として、人質であるか他家乗っ取りのためであるかはともかくとして、自分の意志とは無関係に養子に出されたのだった。

 女性が一方的な犠牲になり、武士という名の野蛮な男たちだけが好き勝手に荒し回った時代だったとは、単純には言いきれないのである。この荒々しい時代、女たちも戦場を駆ける荒ぶる兵士だったのではないだろうか。

 ではまた♪

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