2014年9月 1日 (月)

天災のときの非常食@水で60分おこわ

 きょうは防災の日です。

 ワタシはマンション住まいなので、マンション管理のセミナーとかにも参加することがあります。そこで知ったこと、埼玉県はマンションや大きなビルを災害避難拠点として位置づけ、非常食や水、携帯トイレ、衣類などの備蓄に補助金を出しているそうです。

 残念ながら千葉県では、そういう対策が取られていません。市の防災マップでも避難場所に低地の学校が指定されていたりという具合で、対策も河川の決壊は想定されているものの、東日本大震災の津波のような対策はないようです。千葉県南部や東京の東部(沿岸地帯)は大半が海抜マイナス地帯か、せいぜい海抜10メートル程度なので、河川よりも海からの水を心配するべきでしょうね。

 行政の立ち遅れはいかんともしがたいので、水と食糧、簡易トイレだけは常備しておきたいもの。そこで、まず手始めに水だけで、お湯を使わずに調理できる非常食をためしてみました。Dscn2219_2


 こいつです。食品コーナーではなく、登山用品の店で購入しました。300円以上と高めですが、6~7年は持つうえに210グラムでカロリー361と、一食の熱量としては十分。作ってみます、というか水を入れてみました。

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 1時間経過。なんとなく食べられるような気はします。

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 いけます。冬場の水温でここまでふっくらとなるかどうかわかりませんが、夏場はOKですね、これは。まるでデパ地下で買ってきたおこわみたいにふっくらと、味も噛みごたえもいいです。Dscn2227

 ちゃんとスプーンも付いているので、水さえあれば一食分だいじょうぶ。ごちそうさまでした。牛丼やカレーピラフ、その他レパートリーも増えているようなので、また試してみたいと思います。

 


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2012年7月16日 (月)

脱原発集会@代々木公園「代替えエネルギーは解決済みだ」

Dscn0986 作家の大江健三郎氏が発言中の代々木公園メインステージ(グラウンドのほう)。

 原発さよなら10万人集会に参加してきました。実数は5~6万といったところだと思いますが、久しぶりに人出の多さに疲れる感じでした。

 ワタシたちが洞爺湖ツーリングのときに、あえて反原発・脱原発と言わずに、福島第一・第二をはじめとする三陸の諸原発所に対して、「耐震基準の見直し」を要望していたのが牧歌的にすら思える、昨今の脱原発運動。いや、原発を即時停止しろという反原発運動の現実感。じつに、エネルギー政策をめぐって、安全に暮らせる社会の在り方をめぐって、具体的な議論が煮詰まってきました。

 脱原発あるいは反原発という立場から「原発のない社会を」と言った場合に、代替えエネルギーを示せ、代替え案のない脱原発論は感情的な主張にすぎない、という批判があるようです。ところが、今日の集会で、広瀬隆氏の報告では「大手の企業は生産性の確保のため、発電機を購入しているから、電力不足に陥ることはない」のだそうです。

 さらには「大飯原発の再稼働は、関西電力の諸施設が不良資産にならないように、すなわち関西電力が倒産しないための措置だった」と。つまり、野田首相の「国民の安全を守るために運転再開」は、「関西電力がつぶれると、電力供給がとどこおり、国民生活が危機にさらされるから運転再開」という意味なのだそうだ。だとしたら、原発に代わるエネルギーはすでに完備しているのだから、関西電力を国有化すれば済む話、ということになる。

 もっとも、自力で電力を確保できない中小企業への電力供給という課題が残るので、そのあたりは別個に政策が必要になる、専門家が解決の方法を考えてくれるはず、と広瀬氏は主張しておられましたが。いすれにしても、政治で解決できる話なんでした。

 個人的には、澤地久枝氏の「原発を止めたら経済が立ちいかないという議論には、国土の小ささに見合った経済で幸福に暮らしていける方法を考えればいい」がグーでした。Dscn0979  

 暑いなか、熱中症の持病(?)があるゆるさんを伴ったので、暑さ対策は万全を期しました。

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 思いのほか、冷却ひやシートが良かったです。首の根元に貼りますと、かなりの時間、ひんやり感が維持されました。が、長い時間貼っていると、グチャグチャになりますね。あと、冷却スプレーは野球の選手がデッドボールのときに使ってるやつ。1秒を30回使える説明書き、ということは30秒で約300円、1秒10円っスね。叩いて粒を潰せば0℃(100円)は、まだ使ってません。炎天下サイクリングで使う予定なので、気長におまちください。

 ではまた

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2011年4月12日 (火)

被災地レポート@福島

 無事に帰ってきました。写真レポートです。110409_102801

 テレビや新聞写真で見てる分には、すごいなーだった光景ですが、間近に見てしまうと、言葉にならんですね、もう。

110409_152501  田村市・三春の避難所(スポーツセンター)です。

 ちょうど、陸上自衛隊の作業班が放射能圏内に出かけていくところ。白衣と防護マスク、ものものしいです。110409_171101  

 スクリーニング(放射能測定機)で、スキャンしているところ。→

 じっさいには、ずべての放射能を検知できないのだという専門家の話。

110410_105303  いたるところ、泥と瓦礫の山……。

 晴れると埃っぽいので、放射能除けのマスクが必須でした。110410_152501  

 避難地区(半径20㌔圏内)にも入ってみました。国道6号も寸断され、右の写真のように、脇道もダメ……。

 避難地区には犬が置き去りにされていました。パンをやると、何匹も集まって大喜びで食べてましたが、そろそろこっちにも補給食がなくなり……。

 チョコレートをやると、犬さんたちはしばらく悩んでいました、とさ。動物保護系のNPOもここには入れないわけで、後ろ髪を引かれたもんです。飼い犬というのは忠実な生き物で、飼い主が戻ってくると信じて、ずっと家の前で待ってるんですね。

 いつまで待っていればいいんですか? もう、わたしたちペコペコにお腹がすいてるんですけど……。みたいな、犬たちの訴えるような瞳が痛かったです。

110410_154101  ← 問題の福島第一原発です。このあたりは放射能線量、バリバリなんですよね

 もう道路もズタズタで、ちょいと油断するタイヤが挟まるか落ちてしまう状態。何とか山間の道に活路を見出すも、そこにも道に亀裂があったりで、生きた心地がしませんでした。乗り捨てられたクルマばかりで、かなり不気味でした

 別動隊が無事に支援物資(単なる水ですが……)を運んだ報告を聴きながら、暗い常磐道を帰ってきました。PAも電気が暗くて、なんか異様な雰囲気。 はー、疲れた

 ではまた

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2011年4月 8日 (金)

福島第一@取材&被災支援

 明日から、原発事故(福島第一)の取材・被災支援に行くことになりました

 じつを言うと、好んで行きたいわけではないのですが、原発の安全基準の見直しを三陸・北海道ツーリングで訴えてきた身なので抜擢され(?)、震災被災者支援を頑張っている諸先輩方のご要望もあり、参加することに

 土門拳賞を受賞した報道カメラマンの撮影支援でもあって、了解という感じでした。その意味では報道活動?

 とはいえ、どこまで行けるのか? ←避難指定域。じつはまったくわかりません。とりあえず、マスクと雨具(放射能対策)、乾パン・魚肉ソーセージ(長期保存可)・パックのお米・缶詰+ダウンジャケット(シェラフの代用)・長靴を準備

 それと、ちゃんと宿泊できるのかどうか、よくわからんのだそうです。その結果、支援物資は届けたとしても、被災者に保護・支援されるようになる(迷惑な)のではないかと……、一抹の不安があります。

 エニグマのReturn to Innocence(原曲は台湾のアミ族の詠歌)。

 ではまた、無事に戻れたら。死んで帰ったら、あとを頼む。

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2011年4月 5日 (火)

低濃度放射能@海洋放出・・・

しばらく、母校の甲子園活躍で浮かれてましたが、福島第一が深刻な事態に……。
 某共同通信から、引用。
 福島県漁連の野崎哲会長は4日夕、取材に対し、東京電力が福島第1原発から低レベル汚染水を海に放出したことについて、「混乱している時でも守らなければいけないルールがある。漁連に直接知らせるべきだ」と述べ、東電の対応を批判した。
 一方、福島県の鈴木義仁農林水産部長は記者団に対し、「水産業に及ぼす影響はあまり大きくないと聞いているが、それでも(汚染水は)出ない方がいい。排水が海域に悪影響を及ぼさないよう祈っている」と語った。
 低レベルとはいえ、放射能を海に流しちゃうって。どうなんスか? もともと、沸騰式の原子力発電は海洋水を冷却水にしているので、地球温暖化装置になっちゃうんだと思っていましたが、もろに汚染水を海に垂れ流すことになるとは……。
 
 もう、この先数十年は、三陸沿岸の鮮魚は食べられますまい。刺身はダメでも、焼けばいいかなとは思いますが、セシウム・ヨウ素は熱で殺菌されるわけでもなし。
 しかも、東電によると、汚染水の出どころがわからん? こらもう、ダメかもしれんね。マジで。

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2011年3月29日 (火)

合言葉は「おはしも」@生き延びた児童たち

 日ごろの訓練が生きて、ひとり残らず(350人)津波から生き延びた小学校があったそうです。

 備えあれば、憂いなし。児童たちの機転と行動で、将来の震災対策にも一抹の光明が。

 ↓これです。

 その児童たちの合言葉は、おはしも。お=押さない は=走らない し=静かに も=戻らない

 だったそうです。じっさいには、走っていたそうですが

 訓練・準備は日ごろから、地震と津波を意識した児童たちの努力。なぜ、東電と原子力安全委員会には、その心構えがなかったのかと。

 柏崎原発の火災のときの教訓から、緊急冷却システムを地震の揺れと津波から保護する策は採れていたはずだと、責任は問われてしかるべき。

 母校、ベスト8に。準々決勝は、31日の第一試合。Photo_takashirotoshi  

 高城クン(右写真)、三好クン。みんな、頑張ってね!

2011 ← 母校での応援風景。

 熱いなぁ。

 今日から春の予報。ちょい、遠出したくなったな。

 ではまた

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2011年3月25日 (金)

被災地の記憶@浄土ヶ浜

 Dvc00274a 白い小石の水際が極楽浄土を思わせる、岩手県の浄土ヶ浜です(2008年6月)。

 いま、ここも流木やゴミで惨状になっているそうです。岩の半分くらいの高さで津波が襲ってきた、と。100925_182301a

 でも、観光施設の被害はともかく、ゴミを撤去すれば何とかなるはず。 こっちは、種市という岩手県の北端の浜 →

 ここがどうなったのかは、知らない。

↓岩手と青森の県境ちかく。Dvc00348a

 取り返しがつかないのは、人々の住まう土地・農地・樹木でしょう → ABC放送が掲載しているbefore after 

 こっちはニューヨークタイムズのbefore after  ※どちらも、写真の中ほどにある区切りをカーソルで動かして、震災前と震災後の上空写真が見られます(区切りがわからないときは、写真をクリックしてみてください)。 樹木が失われてるのが、ハッキリわかります。

 樹木の記憶……。エンヤ。

 ではまた

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2011年3月21日 (月)

戦車投入@廃炉に

 福島第一原発。その後の処理が順調なのか、瓦礫(がれき)を取り除いて作業効率をよくするために、ついに戦車が投入されることになったそうです。

 74式戦車。けっこう旧車(1974年製)ですが、密閉性は最新式に劣らない、らしい。

 それにしても、こいつらはディーゼルエンジンなんですよね。

 前に防災訓練で取材したことがありますけど、迷惑な黒煙がスゲー。な戦車さんたちなんです。いえね、環境のために軽量でハイブリッドな戦車を造れとは申しませんが……。

 ま、がんがってください。君たちが造られた真価が問われる、これが初めての実戦なんですから。せめて、見事な廃炉へのはなむけに

 戦車という重厚・硬質なオブジェを中和する、癒しに。

 エンヤです。

 では、また

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2011年3月20日 (日)

女川原発@2008

 福島第一原発は電源が回復されつつあり、何とか危機を脱したようです。稼働原発のなかでは老朽施設ということもあり、とくに津波のダメージが大きかったのでしょう。まずは、危機脱出に拍手です。

 とはいえ、原子力発電そのもののシステムに問題はなかったのか。放置すれば自己増殖するエネルギーを抑制する方法はあるのか? たぶん、今回のようなピンチになった場合には、鉛で封じ込めてしまうくらいの安全装置が必須ということになるはず。構造的な問題(欠陥)もあぶり出しにしておくべきでしょうね。

 ふたたび、安全基準の見直しをもとめて、各原発に申し入れを行なったツーリング洞爺湖(2008年)の記憶を。Photo  

 仙台の東にある女川原発です↓→。 ワタシたちのうしろに見えてるのが原発(排気塔が二本)ですが、海岸線の港や市街地、工場群は全滅したそうです。

Photo_2  

 海岸線沿いの道と、牡鹿半島に尾根づたいの道があり、ワタシたちは山のほうを走ったんでした。こっこうキツかったですね、足つきましたしね。このとき、雨が降ってたんですね。Photo_3  

 いま、女川原発は被災住民の避難先になってるそうです。敷地も施設もそれなりなので、指定されなくても当然と言えば当然ですが、福島との対比はなんとなし皮肉なものです。

Photo_4  原発(炉心)の模型です。青く光ってるのが燃料棒。原発への申し入れの模様は、これ

 お世話になった方々の消息、まだわかりません。ご幸運を祈るばかりです。

 ↓こちらは、もう崩壊した福島第一原発のありし日の見学ビデオ。保存プールが紹介されています。

 ではまた

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2011年3月19日 (土)

取材でわかったこと@原発事故

 昨日、原発の専門家(と言っても、反原発の立場)に取材して、いろんなことがわかりました

 まず、東電が廃炉になるのを恐れて海水注入をためらった、その結果、炉内が高圧化して手遅れになった。という批判があるんですが、取材した専門家に言わせると、海水を注入したのがナンセンスだと。

 海水を煮詰めれば塩が付着し、燃料棒の間に水が通りにくくなる。やがては燃料棒同士が接触し、臨界事故に発展しかねない、らしい。

 かりに炉心が欠損しているとしたら、チェルノブイリの場合と同じように、鉛で燃料棒を覆うしか、確実に封じ込める方法はない(冷却窒素で固化する)。

 あと、放射能は風に乗って拡散するので、半径20㌔~30㌔とかに関係なく飛来する。したがって、チェルノブイリの例で確実に安全なのは、おおむね半径100㌔。アメリカ政府が80㌔以上に退避するよう指示したのは、この実例に従ってのこと。

 なので、東京は安全です。あと、炉心溶融はもう起きないとのこと。事故から10時間以内に起きているはずだと。ただし、使用済でも停止した燃料棒でも、壊れて結合したら核分裂がはじまる。したがって、臨界事故の危機は残されている。

 以上です。4月までに、原発事故対応マニュアル入りの雑誌(増刊号)を編集する方針。詳しくは、また

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