2010年5月22日 (土)

本佐倉城址@歴博

 本佐倉城址のガイドツアーに行って来ました。右下の写真、城址の東山馬場です。右から二人目が案内人のSさん。うしろの100522_101201置き盾に千葉氏の家紋である月と星、なかなかいい感じ。  

 それはともかく、着くまでが大変っした……。距離を適当に考えていたのか、待ち合わせの時間に間に合わないというチョンボ。誰なんだい、間に合わないようなタイムスケジュール作ったの? →ワタシでした。しかも前半のんびり走ったもんで、後半の20kmはアベレージ30km/hsweat01 愚兵衛さん、お待たせしてすんませんでしたっwobbly

 朝が早かった(ワタシ比)んで、もう寝不足というか夕べのアルコールがじゅうぶんに肝臓処理されていないというか、着いてからも辛かったです。ハンガーノック気味のうえに、水分欠乏状態。もう立っていられん状態におちいり、座って説明を聴きましたcatface。ナメてたんですね、歴博のある城址公園ほどではなくても、自販機とかあるんじゃなかろか、とね。100522_102501  

 では、ちょいとばかり城址の解説を。

 右の写真の向こうが印旛沼なんですが、当時(1500年代後半)はすぐ下の田んぼあたりまで水が来ていたそうです。なるほど、沼を天然の水堀にしていたわけですね。

100522_104501  大堀切です。左右に郭(くるわ)があって、この堀切の上に橋が架かっていたのではないかと推論されてます。郭の土塁は今もかなり高い感じ。中世の城で、ここまで遺構が残ってるのは珍しいでしょう。100522_104901_2  

 酒々井町の管理予算があまり潤沢ではないのか、草が多くて発掘当時の遺構を見ることはできません。中世の息吹を感じさせる城址、この先どう見せていくのか、先立つものがムニャムニャなんでしょうね。

 ガイドさんの解説もわかりやすかったですが、小田原(天正18年)に佐倉から3000騎(徒歩兵を入れると1万?)が赴いたという説は、どうも一次史料によるものではないのでは? と(論拠は千葉市史の記述らしい)。

 というのも、合戦の動員兵力というのは中世史研究でいちばん厄介なハードルなんです。だいたい当時の文書(書状)では味方の大勢に、敵を過少に書き勝ちで、確かな証拠になるはずの軍役帳は、ほとんど残ってないんですね。

 ちなみに、かなり正確とされている上杉家軍役帳では、徒歩の兵もふくめて4000弱なんです。この程度が一国の御屋形が軍役衆として動員できた数。やはり上杉文書の関東注文幕で、関東250将(その軍勢は11万5000人)というのがありますが、これもやや過大な数字。ただ、あんまり「論拠の原史料は何じゃー?」とか問い詰めるのも大人げないしcatface、こっちで調べてみます。でもまぁ、満足でした(眠かったけど)。

100522_134301  本日の大きな成果は、国立歴史民俗博物館の新展示室。「現代」です。ただ、戦争展示が多くて、生なましーbearing。疲労ピークだったんで、じっくりとは観れませんでしたwobbly。やっぱ早く寝ないとダメですね。

 ではまたcat。  

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2010年1月17日 (日)

足立区の郷土博物館@ランチポタ

 自転車仲間のKaccinさんとランチポタの予定のところ、ちょうど待ち合わせ場所にE-ponさんが新車のリドレー・ダモクレスでhappy02。ランチ前のひととき、いっしょに足立区の郷土博物館に行ってきました。

 いろいろと、おいおい紹介しますが、松戸市の21世紀の森にある博物館が300円(たしか)、葛飾区のプラネタリウムを併設した博物館が100円、流山は無料happy02、ここ足立区は200円なりcatface。でも、それなりに楽しめます。だたお金は取らない、の格言どおり楽しめる度は入場料金に比例しているような。

Photo 企画展は江戸の大工と鳶、この職種はワタシたち世代には子供のころに見聞した風景で、懐かしさがこみあげてきましたねconfident。この博物館、よく調べてみると土曜日に無料入場日があるようで、企画展にともなう映画会とかもやってるようです。おススメですwink。写真は法被を着てよろこぶの図。

 ランチ、北小岩のパリセチウムrestaurant。例によって混んでましたが、美味かったですdelicious。海まで行こうとしましたが、工事中で引き返しの帰り、追い風と逆風を数十分のあいだにbearing。ではまたcat

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2009年9月28日 (月)

結縁寺不動明王御開帳@講話と護摩

 待ちに待った結縁寺の不動明王の御開帳です。行ってきました。Dscn4967_064  

 ご案内してくださったのは、サスケハナさん(ご夫妻)です。サスケさんのクロモリロード、跨がせていただきました。レーサータイプなので、クロモリとしては硬い印象ですが、困ったのはサドルの高さがワタシの脚では伸びきってしまう……bearing。どうやら、脚の長さがちがうようなcatface。ワタシのほうが背は高いんですけどねshock

 そして、出発早々に「はっ、速っ……sweat01」って、農道で28km/h? あれっ、30km/h越えてるじゃんsweat01 つ、ついて行けませーんbearing

 ついさっき、ハーフクリップでもいいですからね、引き足が使えるとラクになりますよ。とか何とかほざいてたワタシが置いていかれるわけにもいかないので、必死で二人を追いかけましたsweat01。平日ライダーが35km/hくらいでゴーッと抜いていくしbearing

2  コスモス、綺麗でした。季節を実感しながら、とてもしあわせな気分でした。ご案内、ありがとうございますcatDscn4968_063  

 結縁寺です。今年の(不動明王)御開帳は平日なのですいてるかなーと思ってましたが、地元の方々だけではなく、印西市の広報に載ったせいかけっこうな人出でした。印旛膝栗毛のご一行も来られて、千客万来でした。と、ここで、デジカメが電池切れ……sweat01。どうやら、PCにケーブル接続したままひと晩すごしたので、息切れしたようです。09  

 というわけで、ここから先は携帯のカメラですwobbly。やんちゃな印象が可愛い不動明王くん。国の重文なので、彼は金庫に入ってます。したがって、結縁寺本堂のご本尊は、金庫……。

09_2  講話は殺生戒でした。植物といわず動物といわず、生命を殺さずには生きていけないワタシたち。なるべくならば、殺さずに生きていきましょう。何ごとも、心がけ。少しだけ、煩悩を護摩で燃やしていただいたような、そうでもないような。

 住職さん、ありがとうございましたconfident

 帰りは神崎川CR→新川CR→八千代道の駅→桑納川沿いの里山ロード→アンデルセン公園→船橋県民の森→464号線→五香→南逆井の緑陰サイクリング気持ちいい、でした。ではまたcat

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2009年9月14日 (月)

歴史ポタのお知らせ

 歴史ポタリングのお知らせです。Dscn4857_001  

 9月20日(日)流山市のイベント「関東の戦国時代」(講師:駿河台大学准教授黒田基樹)於流山生涯学習センター13時半~に参加する前に、流山の城址めぐりもしくは、開催中の「流山の中世を探る」(流山市立博物館)を見学。午前10時半流山橋東詰め集合。

 9月28日(月)結縁寺の不動明王像御開帳・護摩と講話。午前中に集合(場所未定)。

 右上写真は前ヶ崎城址。

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2008年10月11日 (土)

下総歴史ポタリング@下見

Dscn2637b  前夜からのrain、朝もまだシトシト降ってました。今日、昼からにしようかなーcat。だがしかし……、約束してる二人とも「延期?」とか「中止?」の連絡ないし。

 とくにこの方は、例のツーリングで敢えなくDNS(出走せず――それも雨を嫌ってhappy02)となってるため、やっぱり無理を押して来るでしょうね、時間通りに。来なかったら、うっひひひ……「東葛人さん、またも雨天逃亡!」「ふたたびヘタレの本性を暴露」のブログネタだしー。けっこう降ってるんで、ウィンドブレーカーからレインウェアに着替えて再出発となりました。

 で、やっぱり来ましたwink。流山から濡れながら、根性あるなぁ。ただ、ワタシの待ち合わせ場所指定が「葛飾橋」だったために、若干の混乱が……。

 3本の橋、上流から「葛飾橋」(歩道走りにくい) 「新葛飾大橋」(外環道下り) 「葛飾大橋」(最南端)でした。x24さん、わざわざ探させてしまいすみませんでしたsweat01Dscn2638b  

 江戸川CR左岸を市川へ、最初のスポットは手児奈霊堂です。明日、手児奈祭らしい、女みこしでも観に行くかなーcoldsweats01

Dscn2641b  雨宿りのために入った郭沫若記念館で、市川案内人の会の石田さんから説明をうける。何回か来てるけど、ちゃんと話を聴くのは初めてでした。市民ボランティアが活躍する市川の文化政策、進んでるなーという印象。Dscn2646b  

 朱塗りの門がどぉもなぁ、の下総国分寺。ま、なんです。国府と国分寺があった、つーことでカタチだけでも。

Dscn2648  こっちはもう、何だかわかりませんが。こんど、機会があったらお寺の方に訊いてみますね。

 このあと、雨に打たれながら東に裏道を疾走。大柏川の遊水地が休憩スポットです。Dscn2650b  

 中山法華経寺までは裏手ルート、自転車ならではのガーッと登坂した先に伽藍が見えてくるのって、いちおうの演出です。で、参道のソフトクリーム(150円)が補給食。

Dscn2651b  昼食はけっこう悩みました。市川の駅ビル横にある浅草ヨシカミの支店、ネットでも評判が悪いんでした。けっきょく、浅草ヨシカミがなぜ名店として評価されるのかは、浅草にあるという一点をもってしか説明がつかないんですね。

 だって、味も値段も同じなのに市川店はガラガラsad、ワタシも人を案内しようとは思わないですもんね。そこで、写真の店は鬼高にある中華店。580円でランチ+惣菜のビュッフェ、水餃子と杏仁豆腐が満足です。x24さんにはブログを読んでもわからないことなんか、直接聞けて嬉しかった。メガフロートの提案者だったとは驚き♪

Dscn2652b  大柏川を北上して、市川の南大野あたり。マムシ注意です。

Dscn2656b  鬱蒼たる森にかこまれた駒形神社、でワタシだけ蚊に刺されました。体温が高いんでしょうか、みんなよりも多めに虫除けスプレーを吹き付けたつもりでも、5箇所poutも。

 かゆいよー(。>0<。)で、やむなく市川の尾瀬こと大町自然公園に入るのは諦めたんでした。亜熱帯化した日本、藪の中に入れるのは11月以降ではないでしょうか。

Dscn2660b  こちらは松飛台の梨農園の中です。ゆっくり自転車を走らせるにはもってこいの森林浴といえましょう。車だと梨街道には止められないし、歩いてだとけっこう距離あるし。やっぱbicycleさいこー。

Dscn2664b  ちょいとおもしろい写真が撮れてたので→ 風をきって飛ぶ東葛人さんhappy02。オートシャッタースピードの悪戯(いたずら)です。

 このあと、信じられないほどの直線ルートで五香→逆井→?→手賀沼。おおー、なんかアッという間に着いたような気がします。手賀沼って、松戸から近いじゃん。

Dscn2666b  途中、東武野田線を渡る鉄橋。これだけで、地元の方にはわかるんでしょうけど、ワタシは来週にも復習だなー。

 手賀沼で IKAWA さんと遭遇happy02。彼は首のリハビリライドでした。今日は会えて楽しかったですっ!

Dscn2669  自宅近くのコンビニで、横浜からのツアラーと出会う。連休を利用して、筑波→霞ヶ浦をまわるとのこと。お気をつけて。

 ではまた♪

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2008年9月28日 (日)

TEAM STROLLER 結縁寺ご開帳ポタ

Untitled1uygi  サスケハナさん主催の歴史ポタリングに行ってきました。集合場所の手賀沼大橋下で、すぐにルート案内と時刻表、資料などが配られてサスケハナさんらしい周到な準備に一同緊張。あとで試験問題も配られるんではないかと……(゚ー゚; いっしょに参加されたのは、KAKAPOさん、103、KENさん、みくまさん、アシストさん、YAMAMOTOさん、bunaibuさん、ギャンブルレーサーさんです。

 手賀沼を抜けて千葉ニュータウン方面への道、ロードチーム多かったですね。とくにオッティモの朝練、数台づつの班で何組も走行してるんですけど、挨拶の声がデカい(元気がいい)。「ごんにぢわぁーsign01 そこ、うしろクルマっannoy」「お気をつげてぇーっsign03」最初、なんか怒られてるんじゃないかと思いましたヾ(*゚A`)ノ。

 滝田家(右下写真)は国の重要文化財、江戸時代初期(17世紀)に建造されたものとされています。とくに長屋門の扉は当時のまま、移ろった歴史を感じさせる木の感触でした。Dscn2575  

 七代前のご先祖のメモで、主家の大阪城在番に従って東海道中を100箇所以上も休憩や宿泊した記録、漢文塾をやっていたらしい往時の史料など、貴重な家蔵品を見せていただきました。ご当主に解説されながら当時の文献を見ると、なかなか歴史が身近なものに感じられますね。当時の人たちの生々しい息づかいが感じられるような。たとえば、昔の人だから必ずしも達筆というわけではなく、ぷっwink下手な字だなぁー、親近感を覚えるなぁ、とか。

Dscn2580  こちらは母屋の茅葺。茅を備蓄している業者も今では少なく、最近の改修では遠く関西から10tトラックを連ねて運んできたのだとか。重文ともなれば、やたらと勝手な改修もできない苦労も。それにしても、重要文化財で暮らすって、どんな気分なんでしょうかねー。ま、住めば都。ふつうの生活感なんでしょうけどね。Untitled2okou_2   

 食事のあとは結縁寺の、これも重要文化財不動明王銅像のご開帳です。結縁寺門前の彼岸花(曼殊婆華)、みんな寝っころがりながらシャッターを押してましたね。

Dscn2584  ご開帳ー! の触れとともに、町内の方や檀家さんが本堂に集まり、われわれも「どうぞ奥へ」とうながされる。不動明王像、やんちゃな感じです。住職さんのお話では、ヒンズー教の段階で信心のない者たちを驚かせるために作り出した憤怒の形相。大日如来の柔和さをカバーするために、如来が悪魔退散のために遣わした、まぁ用心棒みたいなもんでしょう。甲州恵林寺の武田信玄をモデルにした不動明王像が有名ですが、だいたい雰囲気は同じ。ただし小さいです、50cmぐらいですかね。Dscn2585  

 住職さんの闊達なお話、真言宗特有の梵語の経と護摩。残念ながら中座しなければなりませんでしたが、機会があったらまた訪れたいものです。そうだ、毎年一回の開帳護摩なんだから、また来年行きましょう。ねっ、サスケハナさん。

Dscn2590  つぎは源頼政の首塚があるという伝承の地へ。千葉ニュータウンを挟んだ歴史ポタでしたが、長い年月を保存された遺構、開発とともにあらわれる遺跡やいにしえの品々、そして語り継がれる昔話。まことに楽しい歴史ポタでした。

 最後は手賀沼でbicycleスプリント(笑)。エースのKENさんはMTBだし、ギャンブルレーサーさんはスポルティーフ、ロード系はYAMAMOTOさんだけhappy02。もらったぁ ( ̄ー ̄)ニヤリ で、ガンガン回して前を走ってるロードチームに接近っ(o^-^o) 見ると、最後尾にスキルシマノのジャージ。もしや、手賀沼を練習コースにしてる某プロレーサーでは?

 違いました。ワタシに追い抜かれるようではプロは務まりますまい。YAMAMOTOさんを抜き返して、手賀大橋の手前でガッツポーズをしようとしたところ、寸前で後ろにつけていたアシストさんに差されました(苦笑)。

 みなさん、また走りましょうね。もっとゆっくりとwobbly。じつは今日のサスケハナさん、めちゃ速かったんです。幹事役の責任(タイムキーパー)がそうさせるのか、プログラムに書かれてた「平均時速15.6」って、嘘っぱちだったもんねーbearing

 

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2008年2月28日 (木)

手児奈伝説(市川真間)

Dscn0563  市川真間にある手児奈霊堂へ行ってきました。いかにも古代風の名前手児奈(テコナ)について、詳しくは市川市のサイトにリンク集がありますのでどうぞ。とくにお化粧もせず、髪も梳かさないのに男たちが夢中になったという美女の伝説。男たちが自分を争う世を儚んで、入り江に身を投げたのだとか……。よく考えたら私の嫌いな自殺なんですけど、やはりロマンありますねー。Dscn0564

 右は手児奈が身を投げたという池、ではなくて敷地を接してる稲荷神社の社殿と社務所です。ここで問題なのは、古代(奈良時代)の市川は現在の市街地が海だったということ。それでは、手児奈は何処から身を投げたのでしょうか?

Dscn0567  たぶん、このあたりではないでしょうか。ここが何処かというと、真間山(弘法寺)の山門の前です。Dscn0568 弘法寺の上人が手児奈を祭ったのが室町時代のことで、同じ時期の国府台合戦で後北条氏が中山法華経寺に本陣を敷いていることから、すでに海岸線が南に延びていたことがわかります。

Dscn0569  思わず笑ってしまった落書は、須和田古墳公園のトイレ。でも、楽書も間違いじゃないんです。落としたり顔で訂正したヤツに、天罰くだるべし(苦笑)。Dscn0570

 その須和田から郭沫若記念館(右写真)を左に見ながら北上すると、下総国分寺です。南北朝期に消失して再建する力もなかったらしいが、地元武士団の援助で室町期に真言宗院として再建。ということは、国分寺の荘園の支配権が武士(荘官)に分捕られ、その後、名目的にも支配者となった武士の庇護を受けた鎌倉仏教、という流れでありましょう。

Dscn0572  往時の荘厳な仁王門を再現。これ、コンクリートなんです(苦笑)。ちなみに、下総国府は現在の国府台球場あたりにあったんだそうです。それにしても、江戸川の歴史を読んでみると今の江戸川流域というか、市街地や農地になってる平坦な場所は、そのほとんどが川とも沼ともつかない状態だったようですね。ま、古代の話なんですけど。

 すごい眩しさの太陽でした。小さくヘリが写ってるの、わかりますか?  ではまた。Dscn0562

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2008年2月27日 (水)

松戸宿(角町界隈)

Dscn0556  地元のPRです。左の写真は小山樋門(通称レンガ橋)、左端にみえる屋根が右下写真の商家。Dscn0557 松戸宿振興会が町並み保存運動の拠点にしているところです。土日には内部が一般解放され、戦前前後の松戸市民の写真など展示物が観れます。※本陣展示および案内板の設置等の嘆願

 この松戸宿振興会は、地元の商店会を中心にしたNPO法人で、坂川献灯まつりなども主催。坂川の浄化を底辺でささえてきた地元の方々なんです。ただし、この松戸宿振興(保存)運動には市の援助がほとんどなく、ボランタリーな資金と活動に頼っているのが現状です。関係者いわく「今の(教育委員会の)担当者が変わらんかぎり、ダメだっぺよぉ」。

 めでたく重文になった戸定邸が市の全面的なバックアップを受けているのにくらべて、保存対象がわかりにくいのがその理由ではないかと、私は思います。建物が中途半端に古く、ごく最近まで人が住んでいた関係で、古い家屋に比較的新しい電線や生活用具が混在しているんですね。たとえば、明治から大正・昭和へ庶民生活の変遷、とでもいうような専門的な研究アプローチがあれば、市の担当者も予算化するんじゃないかと思いますけどねー。

Dscn0559  献灯祭りでは、坂川に交差するかたちでメインロードになる松龍寺の参道。ここの参門の前、夏の夜なんかに通ると怖いですよ。薄ぅーい電灯がぼんやりと参門の看板を照らし出すんです。Dscn0560

 流山から流れてきた坂川は、ここで本流と赤入水門に分岐します。真ん中の森は旧家のF家。ここまで坂川が綺麗になったのも、県と市をあげての行政的な努力、それを動かしてきた松戸市民の根強い運動の成果です。私たちが松戸に越してきたころ(15年前)の坂川は、ゴミ袋や放置自転車が投げ込まれて常に異臭を放っていたのですから。で、どうやって浄化したのかというと。

Dscn0561  いくつもの放水路で水門へと水を運び、ふれあい松戸川(河川敷に無理やり作った水路)に引き入れ、浄水施設をフル稼働させて坂川にポンプで還流する(左写真)という方法なのです。

 したがって、写真の右のほうにあるように、下流から上流に人工的な滝をつくって水流をつくるという、わけのわからない川の流れが坂川の水質を改善したのでした。めでたし、めでたし……。

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