2008年12月30日 (火)

ツーリング洞爺湖レポート最終編

 もう今年も明ければ一日、何だかアッという間の一年でしたcat。去年の今ごろは浮き浮きしながらも、なんとなく不安(北海道ツーリングなんて、途中でえらい目に遭うんじゃないのか……?)な気分だったもんです。そのわりには、読み返してみるとお気楽なエントリーしかないんですけどね。Dscn2029  

 札幌到着(7月4日)の翌日、いきなりイベントというか集会でした。大通り公園に約5000人ほど(ワタシが現認した実数)、当初の20000人動員説の四分の一ですね。これが日本におけるサミットへの感心をしめす指標なんではないでしょうか。欧米の反サミットのNGO団体にとって、日本は東方のかなたの地なんです、たぶん。このあたりの事情はいろいろと雑誌にも書いたので、略します。

Dscn2024  ただし、警備だけはもの凄くて、機動隊のガンダムスーツ(たぶん初のお披露目)がカッチョよかったhappy02です。集会場ではワタシたちが超人気者(たぶんbicycleが絵になるからでしょうね)で、記者たちが長蛇の列(ちょい大げさですけどbleah)。

 ここまでワタシは代表とはいえ、原子力発電所への申し入れでは渡瀬さんの横で座って聴いているだけ(眠てぇ……catface)でしたが、この日は質問されるままに、あることないこと色々としゃべりましたね(記事は読売、北海道新聞、アエラほか多数)。Dscn2062  

 なので、集会の写真とかありませんbearing

Dscn2056  札幌には4日滞在しましたが、ワタシはゆるさんの叔母さん宅に寄宿でした。イベントを終えて大通り公園を帰るの逆光が、とても眩しくてきれいだった初夏の記憶。

 札幌の乾いた暑さ、とても心地よかったです。Dscn2032b  

 叔母様といとこのあっちゃん、とワタシ(酔って記念撮影)。ピアニストの叔母様はカメラを向けると「ちょっと待って」と化粧を直す方らしいので、ぼかし入れときました。

Dscn2051  翌日はファイナルライド♪。学生ママチャリ、地元のサイクリスト、レンタル自転車を借りて参加の人々といっしょに、豊平川サイクリングロードを走りました。Dscn2041  

 右写真は、サイクリングロードを案内してくれた地元のロード乗りのTくん。サイクリングロードは左右にあって、河川敷の両岸を舗装路(利根運河と同じようなの)がけっこう長く延びてます。

Dscn2052  札幌はサイクリングロード充実の街で、じつはワタシが一昨年の夏に自転車ライフ復活を決意したのも、札幌をレンタサイクルで走ってからでした。

Dscn2049   運動公園で昼食、なんだか本当に昔のサイクリング気分。弁当をもって、木陰に涼をもとめる←これですhappy01ね。Dscn2055  

 札幌ビールの煙突広場でのイベント。ここでは学生ママチャリといっしょに登壇して、すこしだけ聴衆を笑わせました。で、このイベントでツーリングの日程はすべて終了confident

 かたむきながら燦燦ときらめくsun陽射しをうけて、beerを一杯だけ飲みました。しばらく抜け殻のようにボーッとしてました。やり終えたよ。太陽がいっぱいだね、って気分でした。

 最後までワタシといっしょに走ってくれた渡瀬さん、斎藤さん、貴重な時間をありがとう。厳しい区間をいっしょに走った鴇澤さん、沢さん、ありがとう。

 多忙にもかかわらず途中合流で駆けつけてくれた千葉さん、久保田さん、江東さん。チーム東葛(笑)の仲間をはじめ、初日のスタートに参加してくれたサイクリストのみなさん。ありがとうございました。

 ご多忙にもかかわらず、ワタシたちを迎えてくれた関係諸団体のみなさん、自宅に泊めてくださったみなさん、ご恩は胸に刻んでおきます。途中で出合ったサイクリストのみなさん、札幌のサイクリストのみなさん、またお会いしましょう。そこのら××ょちゃん、ふ××わクン、またいっしょに走ろうぜhappy02

■思い出写真■

Dscn1719 200806192 200806193

 出発式、江戸サイ。

Dscn1722  

Dscn1728

 いちばん暑かったのは初日でした。大堀川でノンアルコールビールを痛飲したっけ。

 いちばんの思い出は、重茂半島でしょうか。Dscn1811

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 重茂半島の突端(本州最東)鯔崎。往復8㌔の徒歩強行軍bearingDscn1842

                                宮古の浄土ヶ浜。

Dscn1885  寒かった六ヶ所村。

Dscn1929 函館到着。

Dscn1990         

          来たぜ、北海道の大地。

Dscn2019  また行きます、いつか来ます。それまでごきげんよう♪

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2008年12月27日 (土)

支笏湖経由、札幌到着!

Photo  北湯沢(洞爺湖の東)泊の翌日(7月4日=最終日)は、雨rainでした。

 五日目の東松島からの午前中が雨だったほかは、ほぼ晴れsunにめぐまれたツーリング洞爺湖、最後にきて試練だなーbearingでした。なんですが、険しいといわれている定山渓方面(札幌南西の温泉地)の中山峠経由とくらべて、支笏湖経由(美笛峠)の登りがどのくらいきついのか、そのほうが気になっていました。Dscn1997  

 おーい、なるべく白線を踏むなよー! 路面が良すぎるだけに、スリップが怖い。で、それなりの登りはありましたが、もう登坂の苦しさに慣れてしまったのか、あまりツライ印象はありませんでした。最後はトンネルだったっけ。

Dscn2000  三陸海岸いらいの登りを総括していえることは、ダンシングや下ハンドルでは長く登れないということ。準備の走行会では「下ハンドル持てないと、山は登れないよ」(ワタシ)だったんですが、長い坂で下を持つと息が苦しくなります。しょせんは、関東平野で発想してたヒルクライムだったんだなー、と思ったもんです。

 ダンシングもワタシのようにストライドを大きくすると長いのはダメで、今回のツーリングでダンシングを習得した渡瀬さんのように、小刻みなダンシング(?)が効果ありました。というか、苦しむのが好きな登山家さんだからなぁー。Dscn1998_2  

 いきなり海に出てしまったhappy02のかと思った支笏湖、霧で向こう側が見えないんですね。

Dscn2003  じつは、ここから先が札幌のサイクリストをして「支笏湖は日帰りでは難しい」と言わせる山越えだったんです。湖を半周して、イッキに登りbearing。ここから先、余裕がなくて写真がありません……。押したほうが速い登りとブレーキシューがなくなるんじゃ、と思わせる激くだり……。

 気がついたら、もう札幌の近郊でした。サイクリングロードをたどって、中島公園で「時間調整」(笑)というのも、作戦部長の渡瀬さんが出向えの手配をしてなかったんですが、それではあまりにも寂しい、とワタシ。急遽、学生ママチャリや環境団体のメンバー、札幌で会おうと約束してた首藤さん、輪行で先行した鴇澤さんたちに大通り公園に集まってもらい、ゴぉーーーール(歓迎)の儀式を。ってんで、中島公園で時間(5時)まで待機……(笑)。Dscn2009   

 トイレの陰で待機中です→

 

Dscn2013  4時半、いよいよ満を持して札幌市街の中心に進出(笑)。ラストだと思うと、さすがに興奮しました。街全体がサミットで盛り上がっちゃってるし。

 で、このあとなぜか車列が千切れて、ドッキングに手間取る(苦笑)。大通公園では、もう農業団体や環境団体が集会を開いていて、騒然とした雰囲気でした。ひっそりとゴールするんじゃ寂しいとばかり思ってましたが、デコレーションを付けた自転車なもんで、それだけで拍手を受けたり注目を浴びてました。Dscn2016  

 右の写真は、タワー下にゴールしたワタシたちを見物してる人々。赤いユニフォームはサミット歓迎隊(確か)。

Photo_2  めでたく、ごぉーーるgoodhappy02。国会前から1500㌔、16日め。お疲れ様でしたー。(札幌編につづくcat)。

 

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2008年12月26日 (金)

洞爺湖ツーリング@長万部→洞爺湖→北湯沢

 みなさま、」こんにちわ♪ 今年も残すところ数日、気がつけば月日が経つのは早いものです。

 じつは今年の記事でやり遂げていないのが多々ありまして、そのうち洞爺湖ツーリングの記録はちゃんとやっておかないと。来年アップしようものなら「なんだい、今年も行ったかい?」 「むかしのことを、いまさら……」と笑われるのは必至なので、ここはひとつtyphoon冷え込みも厳しいようなので、いまさらながらのレポートをbearing

 どこまでUPしてたかというと、飯の豪華だった長万部温泉(到着の日)まででした。函館からはそれなりにアップダウンもありましたが、三陸海岸のすべてこれジェットコースター並みの連続長登坂というほどでもなく、東海岸(でいいのか?)に出てからは北海道の広大さを満喫したのでした。Dscn1958  

 ただ、広々として美しい風景のいっぽうで、もの凄いにおいがするんだな。というのも強烈な印象、いや臭気でした。これはもう東北北部(青森)から顕著でしたが、牧草(牛の餌用)を熟成させたにおいなんですね。

Dscn1992  江戸川や荒川上流でも、ちょいと広い草原ではよく行なわれているグリーングラスロールです。この匂いが道すじにある放牧地からといわず、牧場に出入りする大型車両からといわず、襲いかかってくるのです。北海道って、臭いんだなぁー。というのが初日の印象でした。

44  洞爺湖に到着した日は、見通しのわるい曇天でした。刻一刻とせまってくる目的地への時間、刻まれてゆく残りの㌔数……。感動の到着は間近だ―――というべきなんでしょうが、あんまり実感がありませんでしたね。もう長旅の延長というか、わりと困難(坂道の苦労以外は)も少なく、当然だよなーという感じ。Photo

 強いてあげれば、サミット会場のウインザーリゾートが見えた瞬間でしたかね、感動めいたものがあったのは。ロングツーリングって、そんなもんです。素晴らしい景色が開けた瞬間の感動とかはありますけどね、だいたい走ってるあいだに(自分は輝かしく生きているぞーconfident。目的地はもうすぐだぜ、ジーン=感動happy02が)消化されてゆくんですよね。

Dscn1916  その意味では、むつはまなすライン(下北半島)から北海道が見えた瞬間とか、年甲斐もなくはしゃぎましたっけ。

 で、われわれを待ち受けていたのは警察の歓迎というか、職務質問でした。Dscn1966  

 →こいつらは埼玉県警、ついで福島県警の遊軍、大分県警の検問、ふたたび福島県警(正規部隊)という具合に、たらいまわしに職務質問。警察は横の連絡とか取れてないし、統合警備司令部みたいなのもないんじゃないのかなーangry

 たとえば、検問A地点を通過した自転車4台はまもなく検問B地点に到着しつつあり、確認されたし。というような連絡があれば、何度も氏名住所を確認することもあるまいと思うんです。ぎゃくに、4名だったのが3名に減っていたら、もう1名はどこかでテロの準備をしているかもしれないわけで、ワタシが目にしたのは効率的な警備とは言いがたい実態でした。

 というか、洞爺湖の脇道で4度目の職質されたワタシ、キレpunchannoyました。可哀相だったのがワタシたちに帯同してたテレビクルー、クルマの中まで何度も調べられてcatfaceDscn1978  

 → 蛭みたいにしつこかった福島県警の某警部補さん。さすがに半年も前のことなんで怒りはおさまってますが、最後までワタシの名前を知りたがったこの方の写真はわがブログに記録しておきましょう(本人の希望だしhappy02)。

Dscn1973  洞爺湖温泉の前にある公園です。

 8年前の沖縄サミットも取材で行きましたが、今回のほうが警備陣は無意味に気合入ってたね。そのかわり、パックツアーとか一般観光客の集客に困ったの声もあった(おもにテレビ報道)し、一方では警備陣がよく来てくれるので繁盛してるというラーメン屋さんもありました(ワタシ現認)。Photo_2 

 何度も足止めをくらったのは、こいつらが原因→ 警備の護送訓練です。だいたい15分に一回はやるもんだから、そのたびに本線に接してる道は封鎖されちまいます。

Dscn1979 Photo_3 

 左は洞爺湖湖畔(キャンプ地)の自衛隊。右は北海道警のクロスバイク。

 翌日は留萌の報道センターに何とか行きたかった(海外の報道陣にアピールできる)んですが、懇意にしてる衛星放送の美人記者は東京に足止めwobbly、イギリスのBBCから取材の申し込みを受けていたので「留萌でなら取材を受けてやるぜ」と連絡したところ、先方はワタシたちのことを忘れてたみたいweep。けっきょく、留萌センター(IDカードがないと入れない)には行けず、帯同していたTV制作会社のクルーも御用済み、となりました。Dscn1995  

 この日の泊地は、洞爺湖から20㌔ほどの北湯沢温泉。その途中、われわれと三日間いっしょだった鴇澤さん(69歳)が限界に。この道30年のベテランサイクリストとはいえ、5年ほどブランクがあったとのこと。しかも重たい荷物を背負っての登坂は厳しいものがあったのでしょう。

 斎藤君のトレーラーに鴇澤さんの大きな荷物を積んで、一路北湯沢温泉へ。それにしても、仙台まで二度も荷物を送り返し、函館でパンクしたときは「本体も送り返そう」とまで提案されたトレーラーくん、最後に大きな役目を果たしましたねgood

Dscn1996  北湯沢に到着。ここも警備陣の貸切でした(苦笑)。

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2008年8月27日 (水)

函館発@パンク……orz

 もたもたしているうちに、渡瀬さんのブログが札幌まで到着しちゃったんで、急遽UPします(苦笑)。

 ツーリング洞爺湖の準備段階(走行会)から、なぜか天候にめぐまれ(雨天中止が一回だけ)アクシデントもほとんどありませんでした。恵まれてるのはいいが、なんか物足りないなぁーとワタシは感じてました。いえね、別にアクシデントがあればいいと思ってたわけじゃないんっスけどね。いっしょに走った地元(?)のサイクリストが仙台に向かう途中でパンクするも、やはり地元仲間(?)のサポートがあってパンク修理の機会なし。

Dscn1948  で、函館泊の夕方、ようやくbleahと言うべきか不幸にもcoldsweats02と言うべきか。斎藤さんのMTB系クロスバイクがパンクしましたっ。前回の記事で書いたとおり、その夜は渡瀬さん鴇澤さんと夕方の一杯のあと別れてワタシは函館山へ。つまり、自由行動の夜となったんでした。ここまで約二週間、何度かプライベートタイムは作ってきたものの、四六時中顔を突き合わせている関係を、すこしでもリフレッシュしようというのが狙いの自由タイム。

 それでも、ワタシ的には二人の日本軍的ともいえる規律というか禁欲的な生活(とくに夜のbeer)のおかげで、それをそっけないなと思うことはあっても、ある意味で計算された浅い関係ゆえに楽なツーリング人間関係だったと思い返してます。人間、深く付き合えばそうなるほどに、思いがけないことで傷つけあうものなんですよね(たとえば夫婦関係のようにthink)。  

 出発前に「じつは昨日、五稜郭を取材したときにパンクしたんです」と、斎藤さん。即座に「パンクってのは続くから、気をつけないと」などと、ワタシが言った舌の根も乾かないうちに、二度目のパンクでしたbearing。仙台のときも「あの自転車、きっとパンクするぜ」と言ったあとのパンクで、われながら何とも間の悪い発言を……。

 でも、こんどはトレーラーのバルブの加工の問題(根元がチューブを磨耗)でした。とりあえずパッチで直してみるが、ダメwobbly。仕方がないのでプロショップのリストで電話をしてみるも、この日は水曜日(水曜日はメーカーの展示会の関係でプロショップは休みが多い)、絶望的かなぁ。いっそ宅急便で送り返したら、という意見も出るありさま。しかし、二度にわたって荷物を軽減した(宅急便で返送)うえ、三陸リアス式海岸の悪魔の連続激坂を克服し、ここまで引っ張ってきたトレーラーなのである。そうそう簡単にあきらめるわけにはいかないのである。

Dscn1950_2  絶望的かと思っていたところ、ママチャリ店は水曜日でもけっこうやってるんですね。電話帳で調べた店、やってましたhappy02。しかし、敵は足元をみているのか18インチのタイヤチューブが1700円?? デッドストックを高く売りつけようという商売人特有のとっさのワザかpout? 仕方なく、その悪徳販売業者にワタシと斎藤さんが行く途中に、朝早くから開いてる店がありましたhappy02。しかも、チューブも800円という適正価格happy01。おまけに、チューブラータイヤの替えを持っていなかった鴇澤さんも、ここで馴染みのお客さんから分けてもらうことに。左上の写真の奥に写ってる太ったローディーが、チューブラーを分けてくれた人です。ありがとうござんしたcat

 ロードバイクの18c~23cのスリックタイヤと、MTB系の1.5inクラスのタイヤ、みなさんはどっちがパンクしやすいと思いますか? MTBのブロックタイヤがパンクするはずないgood。いや、ロードの硬く細い高圧タイヤのほうがクギやガラス片を踏みにくいgood。どちらも一理あり、なんですね。今回、ワタシたちのツーリングではMTB系の太いタイヤのほうが、パンク原因(金属片でした)を踏みやすいという結果になりました。が、チューブを手に入れてパンク修理をしたあと、すぐ目の前にべつの金属片が刺さってるのを発見happy02

 つまり、MTB系の太いタイヤは少々大きな金属片が刺さっていてもへっちゃらさ♪ という立証がなされたわけです。この金属片を抜いて、ワタシが「すごいね、こんなのが刺さっても平気なんて。みんなも見たほうがいいよ」と言うと、ロードバイクの渡瀬さんと鴇澤さんも慌しく自分の自転車のタイヤを点検。見事に突き刺さってましたcat

 対策は簡単です。朝の空気入れの時と昼食休憩の時、鉄片やガラスの破片が散乱している荒れた産業道路を走ったあとに、ちょいとタイヤを点検してやればパンクは防げるんです。調べるったって、タイヤは一本わずか2.2メートル。刺さったものは必ず抜けるんです。抜けにくい時はタイヤの空気圧を減らして、マイナスドライバーを水平にタイヤのゴムを押し下げてみよう! 敵はサクッと抜けます。

おしらせ■ツーリング洞爺湖の報告記事が『情況』(9月号)という雑誌に載りました(9㌻ほど)。あまり売れない硬派学術系雑誌なので、大きな本屋にしか置いてないと思いますが、ヒマなときに立ち読みでもしてください。おい情況編集部sign01 どうでもいいけど、目次の名前が横山茂樹になっとるぞpunch ではまたcat

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2008年8月26日 (火)

北海道上陸! 死について考える

Dscn1928  ずーっとほったらかしてました、ツーリング洞爺湖(北海道編)。気がついたら時系列に地道な連載をかさねているYoshitakaさんにも追い越され、そのままなし崩し的に、なかったことになるんじゃないかと思われていたみなさん。ちゃんと起承転結はつけますので、ご安心ください(誰も期待してないってcatface)。 Dscn2020  

 右は八戸からツーリングを開始し、六ヶ所村から合流した鴇澤さんです。どうです、この颯爽とした姿。ワタシたちが花とハーブの里がわからずにテレビクルーの自動車GPSを頼ったとき、彼はベテランツーリストらしく宿泊地を探し当てていたんでした。鴇澤さんは69歳、奇しくもワタシの親父が亡くなった年齢ですじゃ……。

 じつは函館に着いて金田誠一事務所に挨拶にうかがった時に、作家の西村健さんを通じてある人物の訃報に接したんでした。ある人物というのは北部九州の任侠界の重鎮、というよりも一世を風靡した風雲児とでんゆーたほうが相応しいかもしれんですたい(北部九州弁)。名前を出すのは憚られますので、詳しく知りたい方は作家宮崎学氏と対談本を出した九州の親分、その本をワタシが企画編集した、というスジで調べてみてつかぁさい。実家が氏の邸宅に近いこともあって、ワタシもゆるも親分には可愛がられてたんです。まぁ、この件はツーリング洞爺湖の記事をブログに書く以上は避けて通れない記憶なんで、なかなか続きが書けなかったのかも。

Untitled17y6t  そんなわけで、北海道編の序章は「死」について考えるということになったわけです。それというのも、忘れもしない一昨年の夏。ワタシとゆるは格安パックツァーで北海道旅行をして、そこで当然にもレンタルサイクリングの快適さを体感。これまで以上に自転車(ママチャリだけど)に乗ろうということになって、帰宅後は自転車選び→鉄のクロスバイクを購入→ツーリングバイク購入、となったんでした。

 つまり、このままじゃ早死にするんじゃなかろうか……bearingという身体的な危機感、あきらかな高脂血症、メタボ、etc. したがって、今回の北海道はある意味では自転車による凱旋、自転車生活復帰の契機をあたえてくれた北海道への感謝の旅でもあったわけです。そして、生きている実感を自転車で体感するということは、同時に死と向かい合った記憶とかさなりましたね。Dscn1933  

 写真は大間原発に反対する函館の市民団体との交流会。青森はベタ寒かったですが、青森は快晴sunということもあって、とても暑かったです。やませの吹く東北は寒いが、梅雨のない北海道は暑いcat

Dscn1940 Dscn1941 Dscn1946

 訃報をうけた7月1日はちょうどワタシが出演したテレビ番組の放送の日でしたが、もとより観る気はなかったし、せめて亡き親分を見送ろうという気分で函館山へ。例によって夜景写真、ちゃんと撮れませんでした。高性能カメラをもったカメラマンが2000円とかの高額で写真を売ってるの、よーく思い知りましたとも。

 死そのものは単なる別れともいえますけど、やはり永遠の別れなわけで、おいそれと会えなくなるという意味で深刻なんでしょう。だから「心のなかに生きている」とかになるわけで。ただ、かりに幸福な死と悲しい死があるとすれば、それを分けるものは何なんだろうとワタシは思うんですね。いうまでもなく、人生の価値観(幸福感)なわけですが。Dscn1998

 いきなり洞爺湖をすっ飛んじゃいますが、左は支笏湖の霧です。向こうが見えんので、おいっ間違って海に出ちゃったか? とか思ったもんです。斉藤さんのお連れ合い(新婚heart04)がメールで「支笏湖は○○の名所らしい」と。で、斎藤さんと渡瀬さんが見つけてきちゃったのよね、みずからお亡くなりになった方の足跡を……。

 ワタシはこの、みずからお亡くなりになられることがもの凄く嫌いなんです。ちょうど去年の夏でしたか、ワタシの家からも至近の大きな公園の森のなかで、お亡くなりになった方がおられました。ちょうど警察が検分に来てたもので、ゆるは興味深そうに立ち去ろうとしません。あれこれ具体的にその様子を実況中継するもんですから、なんとなく強い刷り込みで記憶に残ってしまったんです。爾来、ワタシは昼間でもその森には行けなくなりましたよ。だって暗い森のなかで、みずからお亡くなりになった方と出会うの、愉快なはずがありませんもの。人生って、もっと愉快なものじゃないのか?

Dscn1953  もう会えなくなっただけで、心のなかに生きているのさthink。さよなら、××さん、だな。闘病生活から解放されたんですよね?

 けっこうな激坂をこえて、函館をあとにすると。

Dscn1954  大沼小沼の向こうに駒ケ岳。この山、大間発→函館のフェリーからも見えてたぞ。北海道が大きいとかいっても、日本は島なんだなーと実感するよ、まったく。たとえば、あんなに山の奥の頂上と思ってる北アルプスとかでも、日本海から眺められるんだからね。

Dscn1959 Dscn1960             

 来たよーnote 来たっ。これぞ北海道な風景、ツーリングのオートバイ氏に手を振ると、おおらかに応えてくれたもんさ。心の奥に飾ったワタシの喪章がゆれて、その向こうに晴れやかな笑顔を見たような気がしました。 

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2008年8月10日 (日)

慰労(疲労)サイクリング@越谷

 エコイベントWATER GREENへのツーリング洞爺湖の報告出展、および慰労サイクリングを行ないました。

 Dscn2276 この慰労サイクリング、当初は炎天下耐久サイクリングもしくは日焼け疲労サイクリングになるんではなかろうかと、下見段階で期待(笑)してたんでした。ウチのゆるあたりは、そもそもテント内で待機という具合に。 Dscn2274     

 東葛方面からは、タルサ・マクリーンさんとE-ponさんが参加してくれました。タルサさんには銀輪の風のツーリング洞爺湖レポートDVD(希望者に配布)を、E-ponさんには動画ファイル(右クリック保存でメディアプレーヤーで観れます)を作っていただきました。ありがとうございましたcat。だが二人とも、じつは飛んで火に入る真夏の酷熱サイクリングの犠牲者たちなのよ、ふふふ。人にやさしい里山が豊富な東葛地域と違って、このあたりは日陰もないんですもんね。……ふふふっ。

 ところがpout、午後からsunという気象情報もあてにならず、先週は地獄のサイクリングロードだった新方川(にいがたがわ)沿いも元荒川沿いも涼しげな風が吹いているではありませんか(苦笑happy02)。はっ、話がちがうぞぉ……。

Dscn2279  そんなわけで、まことに快適なサイクリングでございました。イベントそのものは立ち上げたばかりでそこそこの盛り上がりでしたが、ブログでは書けない噂の主もあらわれたことだし、学生ママチャリ軍団との再会もあってよろしかったかと。これでしばらく、みなさんは束の間の夏休み。どうぞ、ごゆっくり心身を休めてください。

 ツーリング洞爺湖のその後ですが、名前もあらたに環境系自転車クラブとして歩みだす所存です。名称は議論中と申しますか、つまり公募中なんです。スコール的thunder真夏の異常気象とも亜熱帯化ともいえる日本の夏、環境問題を無意識にも意識しない自転車乗りはいないでしょう。高齢化と医療費対策が急がれる健康問題もしかり。ならば、環境と健康を前面に掲げた自転車チームがあってもいいんではないか。それがツーリング洞爺湖の出発点であり、継続されるべきテーマなのです。どうぞみなさま、今後とも変わらぬご支援・ご注目をお願いいたします。では、ワタシも夏休みsleepy

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2008年7月18日 (金)

ナイスな宿・グルメなツーリング

 今回のツーリング洞爺湖で何が恵まれていたかというと、天候のほかに宿と食事だった。これはもう、ときに行政官的(やや無理な)行程管理でわれわれを悩ませた、カダフィ大佐こと渡瀬さんの努力によるところが大きいcoldsweats01

 まず、プライベートな時間が持てた三泊(仙台・八戸・函館)のスーパーホテルは、使い慣れた気安さ、朝食バイキングが自転車ツーリングにはありがたかった。ツーリングは朝食だぜ(笑)、ホテル自慢の力水でボトルを満タンにすれば、もう怖いものなし。福島県の楢葉町サイクリングターミナル、一泊二食2800円と安くてそれなりに綺麗な岩手県立福祉の里、同じく国民宿舎えぼし荘と、最近改装された公共の宿を使えば間違いはない、ということもわかった。

 そして、民間も負けてはいなかった。北海道長万部の温泉旅館の食事、ツァーの中で最高でした。Dscn1963_2  

 あまり自分の食生活をブログで明かさないワタシも、思わず活写してましたね。この豪華な山海の珍味、毛ガニだけで3000円(市価)はするはずなのに、生きの良い刺身に天ぷら鍋二つ。この宿の宿泊費は6000円なんですよ。朝食だって豪華だったし、温泉はすこし熱過ぎたものの、たしかに本物だったし。

 個人宅での宿泊・歓迎会も、素敵な食事で歓待されたもんです。左から、ワタシを煮物に開眼させた相沢一正さん宅(東海村)、仙台の交流会は法運寺ご住職の梅森寛政さんの誕生日(ワタシと同学年=ベージュのTシャツの人物)とかさなる、武藤邸(東松島)でのバーベキュー。

Dscn1734 Dscn1768

Dscn1783

 あと、山田町では川端信作さんの漁師料理、むつ市で杉山さんのオヤジシーフードカレー(苦笑)、六ヶ所村の花とハーブの里のジャム、美味かったです。みなさん、ごちそうさまでしたcat

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2008年7月14日 (月)

岩手から青森、北海道へ(6月27日~6月29日)

Dscn1836  宮古では地元の脱原発団体との交流会もあり、宿泊は公民館でした。宴会(交流会)担当と申しますか、宿手配と受け入れ団体担当の渡瀬さんは大変。どんなに社交的な性格でも、ここまで続けば気疲れするというものだろう。もはや精神的な疲弊ともいうべき状態で、27日(野田村の国民宿舎)・28日(八戸スーパーホテル)でようやく生き抜きができるのだ。Dscn1844  

 右の写真は浄土ヶ浜。浜辺の白い石が浄土の風景さながら、神々しいというよりも抹香臭い印象でした。誰かお経をあげたら、ワタシたちはすぐに合掌したでしょうね。

Dscn1845  あいかわらずの激坂とともに、われわれを苦しめたのが東北太平洋側に特有の「やませ」である。海から立ち起こった霧が風に乗り、海岸線の山稜を駆け上ってくる。その瞬間、視界がさえぎられ息が詰まるような寒さに襲われる。冷害の原因でもある。ちょっと寒すぎるんじゃないか、三陸海岸……。Dscn1850  

 延々とつづく登りに、平衡感覚をなくしてゆく。いま登ってるのか降ってるのか、脚をとめてみるとわかる。まだ登りだ……。

Dscn1858  蓄積した疲労は、笑顔でごまかす(苦笑)。Dscn1851  

  この頃、斎藤さんの牽引するトレーラーのクイックリリースレバーが脱落。ここまでアクシデントのなかったツーリングに、少しだけ緊張感がただよう。

 翌日、八戸までの行程で途中参加者がふたり、久保田さんと江藤さん。

Dscn1863  仲間が増えるだけで、何となく元気になれるもんですね。久保田さんとは仙台ツーリングいらい、例によって重たいMTBでの参加でした(苦笑)。Dscn1867体力あるなー。 

  このあたりから、ほぼ三陸リアス式海岸を脱したもよう。ずいぶんと走りが楽になる。浜街道を階上(はしかみ)で青森県へ。道の駅で女子高生のロードレーシングチームと挨拶し、何となく元気になるcat。八戸に着いたのは、まだ陽射しがある時間でした。

Dscn1870  翌朝(29日)、出発まぎわに斎藤さんのトレーラーが転倒。あり合わせの金具で固定していた着脱部がいよいよお釈迦に……。ホームセンターの開店を待って、蝶ネジ式のボルトを調達。写真には何ら手伝うでもなく、斎藤さんの作業を見守っている地元のサイクリストも。こういうの、大事にいたる前に処置するのが原則です。Dscn1878_2この時間を使って、ワタシも八戸で購入したブレーキシュー(XTのカセット)に交換。  

 三沢空港をこえて北上の途中、寺山修司記念館に立ち寄る。ちょうど、推定年齢70代なかばの熟女集団が観光バスで訪れてました。でもね、寺山の芸術を理解できるのは、同時代を背負った団塊の世代のほかに無理ではないか。というのがワタシの見解。 なぜならば、寺山のそれが芸術というよりはムーブメントだったからだ。60年代後半~70年代のカウンターカルチャー、既存の生活を捨てた旅立ち(天井桟敷への参加)が当時の若者たちを魅了したのは、まさに一過性の世代的なムーブメントであって、社会的な固着は難しかったはずだ。ゆえに、のちの巨大劇団のようにコマーシャルベースで立脚点を確立することはできなかったし、語り継がれるべき内容も時代と人を語るにすぎない。

Dscn1879  ムーブメントといえば、ワタシたちもそうなんだった。熊本からのキャラバン隊と遭遇。おたがいに「がんばろうね」のエールを交換しました。それにしてもこの「やませ」、サングラスにびっしりと水滴をつけてくれるんです。Dscn1881_2  

 東京を出発していらい、最大の寒さをここで迎えた感じです。汗と霧で濡れた身体が乾かない。吹きすさぶ風に身を縮める。

Dscn1886  六ヶ所村でさわさんと合流後、宿舎(花とハーブの里)の方角を見失った一行。夏ジャージの重ね着とレインウェアだけのワタシ、猛烈に寒かったです。何とか、同行していたテレビカメラマンの機転で、クルマのGPSを使って目的地を発見。到着後は、とっても素敵な六ヶ所村の夜になったんでしたcat

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2008年7月11日 (金)

激坂に喘いだ三陸海岸(6月24日~26日)

 リアルタイムの昨日は、ショップへのツーリング報告と週刊誌取材(来週の月曜日発売の「アエラ」)でブログ更新を休みました。あちらのペースにも合わせんといかんかな~、という配慮は内容的にかぶらないように。つまり時系列的な報告記事よりも、こちらはテーマを絞った中身で相互におぎなうのがよろしかろうと、先を進めます。

Dscn1787  石巻を出ると、逆風の雨でした。季節がら、日程の3分の1程度は雨であろうという心積もりだったので、これはまぁ想定内。気が重いのは、ここから先に待っているはずの三陸リアス式海岸のアップダウン。Dscn1789  

 予想どおり、峠の連続でした。

Dscn1790  おーい、また来たぞ、激坂準備! ってな感じです。

 と、ここでワタシは今回のチーム編成そのものに根本的な疑問を感じ始めたのであった。というよりも、ワタシの準備不足ないしは力量不足である。前回の仙台ツーリングまでは、平日も毎日走っているという圧倒的なアドバンテージを背景に、ワタシが全体のペースをリードしツーリング全体をコントロールするというものだった。必要とあらば、坂で脚をつくことも含めてね。

 だが、渡瀬さんは富山帰省ツーリングの碓井峠越えを機にヒルクライマーとして成長した(体重も見た目より軽い)というか、もともとが本格的な登山家なのだ。しかも苦痛を愛する体育会スポ根系なんである。いっぽうの斎藤さんはというと、トレーラーを牽引している関係(止まると、トレーラーが倒れる)で、こちらも脚をつかない。ふたりともクイクイと登ってゆくんですね。Dscn1798  

 こーんな人たちに付いて行ったら、こっちの身体が持ちませんwobbly。かつて渡瀬さんは、一度も脚をつかなかった碓井峠越えのブログ記事を「この頑張りが渡瀬さんらしい。兵隊さんは死ぬまでラッパを放しませんでしたみたい(笑)」と揶揄されて、時速10㌔をキープして距離を稼いだのだ、と反駁したものである。

Dscn1801  だが、ワタシに言わせれば距離を稼ぐというレース志向の走り方はツーリングには適していない。慎重に路面を選ぶことで身体へのダメージを軽減し、なるべく筋肉に負荷をかけないことで体力を温存する。それがロングライドを可能にし、事故の防止につながるという考え方なのだ。時速と距離ということでいえば、登りで脚をついたとしても時速5㌔。脚にたまった乳酸が解消されるのを待って乗り、時速15㌔で遅れを取り戻す。さらに下りの時速40㌔Dscn1800_2 とあわせて、平均巡航速度25㌔が計算上は出せる(笑)はず。これも乗り降りで疲れるけどね。 

 いずれにせよ、いまや完全にスポ根登坂というか、形式的な精神主義(脚をつかないというのが目的?)の日本軍のような戦いが始まったのであった。先行する渡瀬さんがクイクイ登ってゆくから、われわれもそれを追いかける。追い抜いてホッとしてると、またたく間に抜かれて置いて行かれる。また必死になって追いかける。まさに地獄である。もうあと3㎏ほど体重を落としてたら、登坂ペースも休憩の間合いも、もっと楽にワタシがリードできたのになーdespairであった。

 それにしても、時間とある程度の予算があればロングツーリングは誰にでもできる。というワタシの信念がゆらぐのは、こういう自転車と出合った瞬間だ。学生ママチャリにも圧倒されたが、こっちは一年半ものあいだ「全国制覇」のために走っている大野さんのママチャリです。Dscn1788_2  

 みなさん「東京→洞爺湖」のプレートを見て「すごい!」と言うけれども、一年半の日本一周ですよ。しかも沖縄サミットの時も走ってたという(8年も前じゃんhappy02)。もう凄いとか驚くとかを越えた地平、これはツーリングというよりも放浪ではなかろうか。

Dscn1806  同じ連続激坂でも、こちらは天候に恵まれて激楽しかった重茂半島。三陸海岸の秘境と呼ばれる地です。Dscn1808  

 われわれの経験では、国道の坂(勾配率)は規制があるのか、それほどでもない。県道や市道、それに「○○ライン」という感じの尾根ルートには、信じられないような勾配率があるんです。ここも凄かったですよ、自転車を押しても上がらないような角度もあるんスから。

Dscn1810  登りつめた道はベタ楽しかったけどね。

Dscn1811  山間の絶景、海に浮かぶ秘境。鳥のさえずり、肌をなでる風。しあわせでした。

Dscn1817   ここから「とど岬」(本州最東端)まで往復8km弱。

Dscn1818  水も食料もあるのでインパール作戦ではないものの、装備(靴)がSPDシューズじゃあねー。これも日本軍の行軍です(苦笑)。おかげで足首がだるくなりましたとさ。

Dscn1828  ま、いちおう記念撮影。ここ、けっこう寒かったです。いや、まだタンポポとかレンゲの季節(関東の4月ごろ?)なんですね。東北は思っていたよりも寒い……。

Dscn1831  重茂(おもえ)漁港にて。ツーリングは青春(人生)だぜ! 岩手テレビに出演した関係で、釣りのオジサンから「あんたら、あの三人かい?」と声をかけられる。Dscn1835

 まだまだ、坂道はつづく。あした、飲み会(祝!ツーリング洞爺湖完走)なんで、つづきは来週の心だ(笑)。

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2008年7月 9日 (水)

仙台~石巻・女川(6月21日~23日)

Dscn1747_2  6月21日は途中参加の松原さんが加わり、4人に。仙台までの行程は、3月のツーリングで経験済みでした。が、やや余裕もあることなので、ワタシはかねてから海沿いのサイクリングロード(らしきもの)を主張していたんでした。Dscn1748  

 ちょうどトレーラーを牽引するペダリングの重さに耐えかねた斎藤さんがトゥークリップ購入を決意し、ワタシが持参していたショップリスト(アンカープロ)を頼りに南相馬のショップへ。ここで仙台南東沿岸のサイクリングロードを教えてもらう。というか、再確認したんでした。

Dscn1753  ご覧のとおり、素晴らしい道でした。

 サイクリングロードと呼ぶには、単なる県道併設の歩道にすぎないんですけど、これなら車道でもOKの自転車に優しい道。そのまま「ストロベリーライン」という甘酸っぱい香りの道に。Dscn1757  

 おい、ひとり多いぞ。と思ったら、地元のサイクリスト(?)でした。このあと、彼の自転車はパンク。運悪く予備のチューブもなく、ワタシのショップリストが役に立ちましたとさ。

Dscn1759  このストロベリーライン、もう一回走ってみたいにゃーcatDscn1762_2  

 ま、なんだかんだで仙台までは、あまり苦労もなく。さて、ここから先(三陸海岸)が大変なんだが、仙台到着の翌日は休憩日ということもあり、ちょいと作戦的にも油断してたんだなぁ、このワタシは(苦笑)。

Dscn1765  「(仙台が初めての斎藤君に)なぁに、吉祥寺みたいな街だよ」(ワタシ) 「でも、このアーケード凄いですよ」(斎藤君) 「ははは、凄いね(仙台ってこんなに広かったかよhappy02)」(ワタシ)。Dscn1767  

 右写真は、東北大学の学生さんたちのパフォーマンス。

 さて、ワタシが何に油断していたかというと、女川(原発への要望書提出)までの行程なんです。

 Dscn1779_2 

 向こうに見えるのが、女川原発(牡鹿半島)。ここまで300㍍越え、最大勾配9%の激坂の連続、いや峠越え(コバルトライン)だったんです。海沿いの道を避けてこのコバルトラインを選択したのは、作戦部長の渡瀬さんと現地参謀の野村さん。追認したワタシにも責任はあるものの、このあたりからチーム内に不協和音が生じたのはいうまでもない。すなわち、山岳登坂をめぐるマゾヒスティックなまでの激坂快楽派(渡瀬さん)と、なるべく坂は避けたい派のワタシの微妙な対立である。

 それでも、女川原発から石巻の帰路は海沿いのワインディングをたどって、何とか三陸海岸を越える手応えを得たんでした。なぁーんだ、たいしたことないじゃんcatDscn1784  

 23日は高級旅館のような武藤邸に宿泊。武藤(父)は、なんとワタシと同郷だったことが判明。しかも、氏はラグビー経験者。腰痛に悩んでいるという氏に、自転車によるリハビリを勧めたのは言うまでもない。その夜、バーベキューの炎を囲みながら盛り上がったわれわれに、過酷な運命が待ち受けていたとは、誰も知るよしはなかったのである。

※今週土曜日、チーム東葛(笑)の面々が松戸で凱旋パーティーを開催してくれることに。感謝っcat

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