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2008年4月 4日 (金)

読み直す上州無宿木枯し紋次郎

 明日、上州路ツーリングです。このかん笹沢左保の原作を読み直しながら、一世を風靡したTV版(市川監督)についても、このサイトを参考にいろいろと考えてみました。Dscn1050

 夜十時という時間帯にもかかわらず、視聴率は30%を越えたといわれ、「あっしには関わりのないことにござんす」が社会的ブームにもなった秘密。上記サイトの管理人さんが読み解いているように、当時は経営が左前になっていた大映の熟練スタッフの参加(とくに脚本とカメラワーク)、巨匠市川昆(字が出ん)中村敦夫の大抜擢、ほかにも当代一線級の女優陣の参加(これについては、ブームになってからの売り込みも多かった)など。

Dscn1051  こうした制作裏舞台の分析によって、当時(今も)言われた「全共闘運動の終焉、70年安保の挫折による時代のシラケ気分にテーマが合致した」だけではないのが判る。作品自体の魅力が今日もいささかも衰えていないのもその証しであろう。

 ただし、この「シラケ世代」「三無派」(無関心・無感動・無気力)という時代の雰囲気を、単なる挫折や無力感に帰してしまうと、ある意味で今日の停滞の始まりだったあの時代の意味を見誤るのではないか、とわたしは思う。そもそも全共闘運動にしたところが、大学解体や自己否定という意味では最初から挫折した運動(先に何があるのか、本人たちにもわかってなかった)なんであって、そこに祝祭のような空間が出現したから人が集まったにすぎないのだ。

 その挫折を物理的に確認(バリケード解除)し、爆弾闘争と銃撃戦も破滅に向かって進み終えた(連合赤軍)とき、当時中学生から高校生になろうとしていた私たちの世代にはすべてが見えた。と言い切ってしまえば不遜だろうか。一般論ではなく、私の例にしぼって「木枯し紋次郎」を圧倒的に支持した気分を述べておこう。

 前にも書きましたが、三船敏郎ファンだった私の父親は紋次郎を受け入れられなかった。理解不能だったと言ってもいいだろう。批評家のなかにも、紋次郎の殺陣を「基本がなっていない田舎剣法」だと指摘する声は少なくなかったが、これは私にとっては笑うべき批判だった。高校の体育の正課が剣道だったこともあり、友人の知り合いの剣道家に真剣を(だいたい1㎏あります)持たせてもらったことのある私には、三船敏郎の「荒野の素浪人」の殺陣のほうにどうしても納得のいかない軽さ、竹光としか思えない演技の軽さを見ていたのだった。現実のチャンバラとは違う、と。したがって紋次郎の評価をめぐる議論は、私と父親の現実認識をめぐる闘争でもあった。

 私の父親は特攻隊崩れというか予科練あがりというか、要するに戦時教育をそのまま引きずっている人で体罰主義者でもあった。私と同世代の男性が「精神的な父親殺し」を体験している(と思う)のは、父親たちの体罰に対する嫌悪とともに彼らの価値観にまで刷り込まれた古い精神主義、頑なに狭い視野(不可能な世代間の相互理解が生じる)に対する批判。なのではないだろうか。ぎゃくに言えば、古い体質の頑迷な父親たちとの闘いによって、われわれ(少なくとも私)は自立できたのだとも言える。

 60年代のロックンロールおよびその亜流、ヒッピームーブメントや全共闘運動いらい、古い権力が壊滅するまで(たぶん高度経済成長の挫折)、旧社会の権威との無意識な闘いの最後が「シラケ」であり「三無派」と呼ばれた私たちだったのだと、いまはそう思える。以後の世代も時には私たちのように無意識に闘い、あるいは逆に父親の権威を否定した次世代の父親たちによって作られたニューファミリーの中で、自分が闘うべきものを模索した。のではないか?

 紋次郎に話をもどそう。少なくとも私の父親は、紋次郎現象をまったく理解できなかった。当時の私はそれを理解させるために、現実を描けばこうなるはずだと、そう説明したように思う。美化されない、ありのままの現実。ある意味で、それは私たちの世代が見てきた「社会は醜い」「理想なんてウソだ」「悪いヤツが得をする」「妙なことにかかわりにならんほうがよい」を、紋次郎の世界が体現していたのだ。

 同時にそれは、父親以前の世代に対する批判であり、社会に対する根源的な疑問でもあった。ただ単にシラケているのではない、すべてを見てきたわれわれにしか判らない感情なのだと、そのときも思っていたはずだ。もの心ついた時期から茶の間にはテレビがあり、勉強部屋の深夜ラジオで日本はおろかアメリカの事件やヒットチャートまで知りえた世代なんである。そのあまりの情報量の多さに疲れ、殺伐とししてゆく感性を癒すものがあるとすれば、現実を現実としてありのままに描こうとする「木枯し紋次郎」だったのではないか。

 そこには頼るべき理想も正義もなく、ただひたすら欲望と裏切りが渦巻いている。じっさいに悪徳は生き延びるし、善意は踏みにじられる。その酷薄な人間たちの惨劇を横目に、つねに関わり合いを避ける紋次郎が最後は騒擾に引導を渡さなければならないのは、彼に残されているわずかな優しさ。そのわずかな優しさが、みずみずしい湧き水のように画面に刻印される。それを人間の希望と呼ぶべきなのかどうか、わたしは知らない。

 

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コメント

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