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2007年7月30日 (月)

東葛ポタリング--田園と森林を駆けぬける

 東葛人さんが主宰するポタリングに、相棒ともども行ってまいりました。コースのロケーションと走りやすさ、16台もの自転車が連なる壮観Photo (写真はショボイけど、じっさいは迫力ありましたよ)、まことに最高でした。
 この写真(右)を撮ったあとに、ロイさんのリカンベントが私の真横を激走。Photo_2 「リカは速いなぁ」と思っていたら「落とし物です!」私のハンドタオルがいきなり目の前に落ちてきたとのこと。ありがとうございました、ロイさん。ナイスキャッチ!
 で、そのコースはと言うと、よく分からんのです。

 行き=手賀沼蓮の密生地→大堀川遊歩道→柏の葉?→常磐道沿いの緑地→?→香取神社(写真右下)→利根水路→江戸川CR→?→清水公園→目的地の不老庵Photo_5
 帰路=?→上新宿?→?→利根水路→江戸川CR

 ってな感じで、ほとんどクルマの多い車道は走らずに快適なポタリング。集合場所の手賀沼までの21キロを含めて98キロの走行距離なのに、ほとんど心身の疲れはなし。前を引っ張ってもらいながら、景色を楽しむだけのポタリングって快適です。ほとんどが初対面のブログつながりの面々にもかかわらず、終日たのしく過ごせたのは東葛人さん(HNですもちろん)のお蔭ですね。幹事役、お疲れさまでした。
 とはいえ、サイクリングにお約束のトラブルがなかったわけでもなくて、kaccinさんが行きの江戸川CRでパンク。手慣れた仕草で予備チューブに交換するところ、私がお節介にも(?)ミニポンプを差し出して援護というか、空気圧ゲージを見て「たぶんOKかな」「じゃ、もう一発」。つぎの瞬間、チューブは轟音とともにバーストしたのであった……。
 そもそも、私が持参したヘタレのミニポンプ(Beam XOP=下記URL )で高圧タイヤの空気入れが出来たことも驚異(kaccinさんの剛腕ならでは)ならば、いつもはあっちこっちに針が動く頼りないゲージが正確に8barを指していたのも驚き。その意味では正確にバルブに装着され、ほぼ適正な空気圧まで到達していたわけです。

http://www.cb-asahi.co.jp/image/kokunai/sanesu/beam/xopgage.html

 ロード系の高圧スリックタイヤのパンクの原因は、1にリム打ち、2に異物が柔らかいスリックタイヤに侵入してスローパンク、3に高圧のバースト。とくにバーストパンクは気圧の変化や気温にも左右され、細心な微調整をしないと予防できないらしい。一般にプロショップは高圧を推奨し、量販店は空気圧を少なめのマニュアルなんで、プロの自転車屋さんでもユーザーを満足させる普遍的な適正空気圧というのはないことになる。ロード乗りの皆さん、夏場の空気圧管理は厳密に。
 で、kaccinさんのタイヤ径は24インチなので、替えのチューブを持っている人もいない。やむなくお互いの携帯の番号を交わして、パンク修理後に先行した本隊と合流することに。私としては、つぎに相棒がお決まりのパンクをするんではないかと至って心配(笑い)。一行は野田橋をこえて、新しく舗装された江戸川CRを何とかいう(失念……)宅地造成中の将来のニュータウンを越えて、清水公園へ。ここで、お祭の神輿に隊列を寸断される……。交差点待ちで自転車の数が減ったなぁ、と思っていたら、完全に千切れていたんでした。そして合流後の一行は、めでたく野田CC脇の不老庵に(下のURLを参照)。

  Photo_3 http://add.softin.jp/furouan/
 ここ、お薦めです。山賊風の山鳥コース(写真)はもとより、海産物との合同料理コースなどもありますが、トロロ飯ほかワンコイン(500円)定食も。そのうえ、水が井戸水なので自転車乗りの皆さんにはうってつけです。食事ポイントと同時に、給水ポイントとしても有効。
 雀がひらきにされたのや、鶉の遺体などのコース料理が参加者の皆さんを「ウギァー」「うっひゃあ!」「これを食うのか……!?」となっているところに、kaccinさんが到着(一同拍手)。
 帰りは小雨の中、これもよく分からないまま集団走行で、気がついたら利根水路へ。ここでわれわれ松戸組は江戸川CRへ、kaccinさんの先導で帰路。やや激しくなってきた雨もCRに入る頃には上がってました。重たいクロスの相棒もロードバイクの集団から千切れずに、よく頑張ってました(体力あるなぁ)。
 ところで。何じゃい、これってまるでルートとか参考にならんポタリング報告じゃないか。と。当然にもそう思われる方は、下のリンク先をお訪ねください(たぶん、ここよりはまともにレポートされます)。ほかにもブログを持っている参加者は多数おられたはずですが、私のほうで判明した方のだけです。

東葛人的道楽
http://blog.livedoor.jp/toukatsujin/

わいずふぁくとりぃ
http://yzfactory.blog65.fc2.com/

Be-all and End-all
http://ikawa67.seesaa.net/

E-ponの部屋
http://e-pon-room.cocolog-nifty.com/blog/

ロイ常一郎の怠惰な考察
http://d.hatena.ne.jp/roy-t/

世界の食卓 柏発グルメ探求の旅
http://ameblo.jp/kashiwan/

 Photo_4 写真左は松戸栄町(流山街道沿い)にあるラーメン屋「しゃかりき」(満腹の相棒)、右は何だかよく判らないと思いますが、帰路の買い物でDバッグに荷物を無理やり詰め込まれている私。D 重てぇ~~。
 あと、お知らせが。8月9~10日に松戸駅西口の伊勢丹~眼鏡橋の坂川で燈籠流しが行われます。綺麗になった坂川の夏の風物詩で、昨年通りなら歌謡ショーや太鼓、商店会の屋台も出ます。平日ですが、近在の方は是非お越しください。

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2007年7月26日 (木)

秩父長瀞ツーリング その2

 前日は深夜までの深酒にも、わが鍛えられた肝機能は無敵でありました(笑い)。
 というわけで、颯爽と早起きして朝食用の卵を買いに。それにしても、クルマのいない道路は広々として走りやすい。というか、格別な爽快感ですね。グイグイとダンシングしながら、まるで空を駆けているような気分。
 まずスーパーは開いてないだろうから、コンビニを探すこと国道140号線(秩父往還=彩甲斐街道)を二駅ほど上流にさかのぼる。長瀞駅に到着して、ないことを確認。シーズン中の観光地とはいえ、さすがに埼玉県の山奥である。いまどきコンビニがない町というのも、いいんではないだろうかと思う。
 ところで、この140号線は古来より雁坂峠越えの秩父往還として、武蔵と甲斐の交通の要衝であった山深い街道なのです。じつは今年の大河ドラマ「風林火山」の後半のエポックである信州川中島合戦の直接の原因が、この秩父往還を舞台にした武田一門の謀叛劇だった史実は、あまり知られていないようです。その謀叛劇の主人公は勝沼五郎信元という人物で、彼は武田信玄の従兄にあたる。
 当時の甲斐武田氏は、郡内の小山田氏をはじめ信州の国人衆などを連合的に統制していた中世大名であって、一門衆の勝沼氏(武田信長の系譜)も隙あれば信玄に取って代わる野望を抱いていたとしても不思議ではない。事実、カリスマ的な統制力を持っていた信玄の没後に武田勝頼が近世的な家臣団編成に努力したにもかかわらず、木曽氏(一門衆)や小山田氏は武田を裏切っています。
 御館の乱という熾烈な国内戦をへて国主の地位を獲得した上杉景勝が、織田の包囲網と揚北の国人領主新発田氏の謀叛に遭いながらも、最後まで近臣による戦いの陣形を保ちえたのと比べると、武田氏の滅亡の速度は如何にも早すぎる。その原因は前述のごとく、一門衆および国人領主の連合的な組織からの脱却が遅すぎたという見方も、可能なのではないだろうか。
 さて、その武田氏のいわば御家騒動が、永禄三年(上杉謙信の上洛と関東進攻の年)に起きていたのである。『甲陽軍鑑』の品第三十二に「永禄三年庚申霜月三日、甲州勝沼五郎殿御成敗の儀、前未の年より御目付御小人衆頭を、殊の外馳走有故、此よし廿人衆頭より隠密に言上仕る、横目の御中間頭衆も心付けて、甲州恵林寺の入、中牧という所に待ちて、怪しき者を捕らえたれば、武蔵国藤田右衛門と云う侍大将と、勝沼五郎殿内通有り」とある。
 この条は信玄が出陣する留守をみはからい、甲州東郡に藤田右衛門を引き入れて甲斐を乗っ取ろうとした「逆心の文あらわれ」とつづき、勝沼五郎信元を成敗して彼の配下だった「二百八十騎の同心被官」は跡部大炊助と信玄の弟信廉に授けられた、と締めくくられている。上の文意は、信元が前年から役人を調略しつつ謀叛を企んでいたという意味であるから、永禄二年の段階で謀叛の計画があったと推定できる。
 その永禄二年とは、上杉謙信(長尾景虎)が上洛した年であり、武田氏の配下だった信
濃の有力国人たちが謙信(景虎)に上洛祝いの太刀を春日山城に持参した史実が注目されるのだ。さらに永禄三年に謙信が書いた「関東幕注文」には、秩父藤田の当主と一門家臣の名があり、この時点で秩父藤田一族は上杉謙信の側に属していたと考えられる。
 ところが、なのであります。この時期の藤田氏は、北条氏康の息子氏邦を婿養子に迎えていたのも確かな史実なのだ。つまり、藤田氏は上杉方にも誼を通じ、北条氏の四男(五男説も有力)を当主として迎えるという、二股膏薬を謀っていたことになる。さらに、前述した「武蔵国藤田右衛門と云う侍大将」が、武田氏の一門の謀叛に絡んでいたとすれば、事態はきわめて錯綜したものになる。
 ともあれ、武田信玄がこれを宿敵上杉謙信の謀略だと受け止めたのは、想像にかたくない。それまで三度にわたる川中島合戦では、謙信の攻勢をかわすように翻弄していた信玄も、永禄四年の川中島では通説に従えば、山本勘助のキツツキ戦法を採用して決戦に臨んだ。その理由は勝沼五郎信元の謀叛、信州の海野氏、香坂氏、西牧氏らを事前に粛清したことにもみられる危機感だったのだと、ほぼ断定できるのです。
 秩父の峻険な山々を眺めながら、その当時の藤田一族がどんな思いで自家の存亡を謀略に託したのかと、興味はつきませんね(写真は長瀞=元荒川の流れ)。Photo
 などと秩父の戦国史に思いを馳せながら140号線を樋口まで戻ったところで、コンビニを発見……。目的の卵はゲットしたものの、長瀞も東京と変わらなかったという残念な思い。コンビニの恩恵にあずかりながら、複雑な気分なのであった。
 前日に一升も炊いたという米を、さっそくチャーハンと雑炊に。東松山から来ていた少女たちがイヤがらずに食べてくれたので、まずは合格の味か? ただし、大量に炊いて本来なら美味いはずの米がマズいのは、保温をしすぎた結果ですね。米は炊いたらすぐにあら熱をとり、保温はしないで保管。そうすればベチャつかないし、米の味が劣化することもない。とは、米所の姑の教えです。
 さて、腹ごしらえも終わって帰路へ。相棒もやる気満々というか、自走して帰らなければ他に方法はないのである。宿泊した某別荘前を、来たときとは逆に140号へ(昨夜は最後の激坂で青息吐息だったんです)。帰路は別の道を走ろうということで、熊谷経由の予定でした。でも、われわれらしく「予定」はあくまでも「予定」であって、広域地図をよく見れない性格上、いろいろ迷走するのである。
 まず、川を渡ってしまおう。という段階で、川沿いに東上する道筋を見失う。県道を渡河して、いきなり地図に載っていない森林の中へ。しばらくアップダウンをくり返しながら「森林公園GCへ4キロ」という標識に出会う。私はこれを東松山の武蔵丘陵森林公園の「東松山CC」と思い込んだのであった。国道254のアップダウンを回避して、たやすく東松山市内に抜けられるのではないかと。
 しばらく進むと、その森林公園GCが見えてきました。うーん、まだ東松山じゃないらしいぞ……。さらには、寄居CCの表示が。これって、戻ってるんじゃないかい? もう相棒は、私のナビに不信表明。あとはコンパスが頼り。ほらっ、ちゃんと東に向かっているよと、私。
 軽快な下りの先に接続したのが、国道254なのでありましたっ……(鬱)。しかしながら、当てずっぽうのナビも結果オーライ。どうやら厳しい激坂を回避していたようなのです。それにしても、帰りはなだらかな下りばかり。前日はこの坂を登ってきたのかと思うと、われわれの脚力も大したもんだなと思う。
 昼食は東松山市内の本格的なインドレストラン。美味しかったけど、写真を撮るのを忘れてた。川越市を前に、川島町で254を離れて農道を散策(写真右下)。Photo_2 もう田園は真夏の風景。
 Cr 川越市街内を望むところで、入間川CRへ(写真左)。ここから荒川CRに出て、こんどは左岸を走ろうと私は思っていたんですが……。この入間川CRは土手の下(風景が見えない)を走るんですね。そういうトレーニング的な走りが気に入らないのが私の相棒で、早々に一般道に離脱。工場街を何とか荒川までたどり着き、開平橋を上尾に。あとは県道57を南下するばかりでした。
 荒川沿いのほうがラクだよという私の提案は踏みにじられ、相棒は国道17号線への合流を主張し、その後は外環道(国道298)を東に向かって帰宅という案配。これ、正解でした。写真(相棒が氷で頭を冷やしているところ)のとおり、17 17号線は上を大宮バイパスが通り、登り(南下する歩道)はちょうど日陰なのである。
 というのも、相棒にとっては大型トラックの幅寄せや激坂よりも厄介な、真夏の日差しがふりそそいでいたからなんです。彼女は熱中症を頻発する体質で、ようするに汗をかきにくいから体内に熱が溜まり、私のように汗っかきな夏向きの体ではないのですね。
 その症状はといえば、激しい日差しに不機嫌になる→頬が真っ赤になり、なぜか怒りはじめる→やがて無口になり、突如として座り込む→動けなくなるが、頭部を冷し水分を補給することで、やや快復→水分(冷水や氷)補給の休憩後に全面復活。
 それにしても、なかなかいいぞ国道17号。自転車通行可の歩道も広く、真夏のサイクリングにうってつけですなぁ。
 その後も外環道の川口ジャンクションで北に迷走したり、私が信号待ちで置いていかれたりと色々と散々なこともありましたけど、買い物をしながら日没後にはめでたく帰宅。以上、総走行距離234km(往路110km・卵の買い出し12km・復路112km・消費した飲料水500mlペットボトル12本分)の一泊二日ツーリング、ご報告の次第に候。
 さぁて、今週末は東葛ポタリング。

東葛ポタリング
http://blog.livedoor.jp/toukatsujin/archives/51563567.html

ふむふむ、不十分ながら参考にはなったぞ。という方はクリック。

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2007年7月23日 (月)

秩父長瀞ツーリング その1

 けっきょく相棒と二人で行ってきました、長瀞への一泊ツーリング(7月21日~22日)。明けきらぬ梅雨空に不安を抱きながら、単独行のつまらなささを感じていた私は相棒に提案。降水率は30パーセントの予報だから、たぶん日がカンカン照るってわけでもなさそうだよ、と。
 相棒は先週の連休ツーリング(同僚とベイエリアをポタリングのあと、私と横浜横須賀方面二泊ツーリング)が頓挫した欲求不満もあり、さっそく乗ってきましたねぇ(笑い)。ただし、週末ライダーの相棒が小さなヒルクライムもある往復200キロ越えの行程に耐えられるかどうか……。こればかりは、やってみないと分からんのです。
 めずらしく早寝して起きた当日は、やや雨まじりの朝でした。路面はビッシリと濡れちゃってる。どんなにわずかな霧雨でも、眼鏡(サングラス)を愛用しているわれわれには難敵なんです。グラサンにワイパーは付いてないですからねぇ。
 ところが……、である。7時半を過ぎるあたりから霧雨もあがり、近所を行き交うクルマも間欠ワイパーを使っていないことが判明。行ける、行けますよ。途中での多少の雨はツーリングには珍しくない折り込み済みの事態であって、出発の段階で雨が上がっていればOKなのだ。という苦しい理屈で自己納得させつつ、出掛けましたっ!
 例によって、水元公園(写真)070721 を起点に葛飾清掃工場の巨大なエントツとポニー牧場を眺めながら、飯塚橋で中川を渡河。北綾瀬をへて千住新橋への行程は定番ルートで、いざ荒川CR(写真)へ。
 Cr070721 曇天にもかかわらず、荒川CRは自転車乗りたちのメッカというか、朝早くから(もう9時だけど)ローディたちやポタリングのミニベロで賑わってます。おうおう、自転車仲間たちよ走ろうぜ、ってな感じ?
 さいわいにも追い風で、相棒もグングン飛ばす(巡航速度20キロ台後半)ではありませんか。おいおいっ、ツーリングはペース配分が重要だよ。都市交通システムが通る尾久通りの扇大橋、首都高速道路が雄大な五色桜大橋、鹿浜橋と、見慣れた風景をすぎて岩淵水門(写真)へ。相棒はこのあたりからが初めてなんです。070721_1 ほらご覧、隅田川はこっからなんだよと、私。荒川CRの右岸(上流からみて、右手が右岸。左が左岸)は、このあたりからゴルフ場がビッシリと連なっていますね。
 ところで、このあたりから相棒は面白くないような顔をしはじめるのであった。私もある意味では同感なのですが、単調な風景が連続するサイクリングロードはつまらない。コンクリートの中でエアロバイクを漕いでいるようなものだ、と。
 しかしながら、私のほうは荒川CRを上流(荒川大橋=熊谷市)まで登り詰め、そこから長瀞までの精緻なレポートを作成することで、自転車ツァラーのための荒川放水路~元荒川上流の第一級レベルのガイドサイトを作ってみたい、という野望にかられているのである。なんとか機嫌を損なわないように、上流までエスコートしなければ……。
 ところが、外環道を越えたあたりから僅かな逆風が吹いてきた。わずかな微風でも、スピードをあげるにつれて風の抵抗が大きくなるのが自転車の宿命である。ドラフティング(先行する自転車を風除けにして走る)の要領で何とか引っ張ってみるものの、相棒は敢えなく千切れてしまうのでありました。なんと、時速20キロ巡航も維持できない様子なのだ。
 あたりは濃霧……(写真は外環道の幸魂大橋)。Photo_34 乳白色の濃霧が立ち込めた先は、ツーリングの先行きの危うさを感じさせ、われわれの戦意を削いでゆく。もはや、夜までに目的地に着けば幸運かもしれない。いや、勇気をもって引き返すべしや……。
 浦所バイパスの羽根倉橋あたりまで来たところで、相棒の不調の原因が判明したのであった。「どうしたの? もう走れない?」(私)「これ……、空気が入ってないよ」(相棒)。そう、パンクだったのである。あまり詳しくは紹介しないが、わが相棒はパンクの達人なのである。フランスはフォンテーヌブローの森でレンタルサイクルをパンクさせたし、葛西臨海公園ポタでもパンクの実績あり(乗り方が荒っぽいのである)。というか、パンクした自転車で20キロ巡航は無理でしょうよ。
 さてここで、700ミリタイヤ用の予備チューブとパンク修理キットにミニフロアポンプを背負ってきたツーリングのベテランこと私の出番! 私に任せなさい、たかがパンクごとき目にもの見せてくれん、と。けれども、私はしばし思案しました。小学校4年のときにパンクした経験はあっても、ノーパンク歴ウン十年の私がマニュアルどうりにこなしたとしても、30分ほどは時間をロスするであろうことを……。
 私の決断はじつに早かったです。ツーリングの前途に立ちはだかる悪い流れの芽を、何とか早めに摘み取ってしまわなければならないのだ。ここで私が30分もロスするようなら、相棒は「もうカエル(帰る)」と言いかねないのではないか。
 いや、そもそも私の予備チューブはフレンチバルブで、自分の自転車にしか使えない。そ、そうだ、ここはプロに任せよう(パンク修理キットが100円ショップのだしね)ではないか! そうすると、面白いことにCRを降りた場所に自転車屋があるではありませ
んか。ナイスな判断の私っ!
 その自転車屋さん、パンクに関しては凄腕だった。わずか5分ほどでパンク修理は完了! すごい、プロだよこの人。と、私もじつはリアディレイラーの不調を感じていましたので「オヤジさん。ついでにギアをみてもらえないですかね、工賃はそれなりに」と調整を依頼。店頭にイベントロードレースのポスターとかも貼ってありますから、アッという間にプロショップ顔負けのチューニングか?
 ところが、なぜかオヤジさんは困ったような表情であった。「これはどうやって(ギアシフト)するの?」(オヤジさん)「ここを押せば」(私)「うん? そうかね」(オヤジさん)「シフトダウンはブレーキレバーを」(私)「ああ……」(オヤジさん)。このやり取りで判りますね? パンク修理の達人は、デュアルコントロールレバーの使い方を知らなかったのである。
 当初は私も「ああ、そうかぁ。デュラエースやアルテグラクラスのばっかり扱ってるから、ソラのレバーを知らないんかな」程度に感じてたものの、「しまった、無理を言っちゃったみたい」と後悔したもんです。いや、本当に後悔したのは、オヤジさんが慣れない調整を始めてからでした。
 いちおう、オヤジさんも変速ギアの調整箇所は知っているから、やってはくれましたよ。そのうちに、リアエンドがスポークに干渉して「コリコリコリ」(自転車)。「うわっ、壊されるんでは……」(私)「うーん、難しいね」(オヤジさん)「も、もう結構です」(私)なのでした。何とか自走できる状態のまま撤収。迅速なパンク修理、ありがとうございました。慣れないギア調整を頼んで、すみませんでしたっ!
 無茶苦茶な変速シフト状態になった自転車をなだめすかしながら、このあたりからは一般道になる荒川CRを進むこと、治水橋付近。ついに相棒が最後通牒を……。私の計画した熊谷(荒川大橋)経由では夜になっても長瀞に着かないのではないか。したがって、16号線を川越ルートを提案し、同時にキャプテンの交代をもとめる。はい、もちろん了解しました。
 で、16号線をへて川越に(途中、昼食の食堂はマズかったので省略)。ここで私は地元で有名なプロショップ(写真および下記URL)Photo_35 でギアの調整を。ここのオヤジさんはロード系バイクのプロ職人、パシャパシャと快適に変速できるまでチューニングしていただきました。

http://www.alphawk.que.jp/index.html

 Photo_36 川越(写真)から先は、川越街道(国道254)をひたすら登坂の西上。秩父山系に分け入るとアップダウンの激しい道も、わりと広い歩道が完備されていました(写真)。254 このあたりから、小雨予報だったはずの空が晴れわたり。相棒は左下写真のように覆面姿に。この真夏のような暑さ……、もう梅雨は明けてるんじゃないのかい、気象庁さん?
 峻険な、というほどではないけれども、秩父へ向かう国道254は小さなヒルクライムの連続で、254_1 登坂に不慣れな相棒は車重15キロオーバーのクロスバイクもどきで苦戦。それでも何とか、出発から10時間を要して110キロの行程を走破したのであった。お疲れさま、まぁまぁ立派だったぞ。
 写真はわれわれを待っていたバーベキューの光景、Photo_37 暖かい拍手の歓迎に深謝です。その後は深夜まで某NGO団体の方々とサッカーの対オーストラリア戦を観ながら談笑しつつ、例によって深酒の深夜。私が朝食当番をかって出て、翌朝は大量に残った米飯を調理するために卵を買い出しの予定となった。
 ともあれ、自由業の私とは違って勤め人の相棒は明日も自走帰宅(輪講できないタイプの自転車なんです)で、私も同伴してサポートする立場。帰りも110キロ以上の行程を残してるヘロヘロ疲労の中年夫婦は、その後どうなりましたことやら……。ま、死んでたらこんなことは書けませんので、気分も軽く詳報を待つべし(週末にはUPの予定です)!

多少はショートツーリングの参考になったかもしれん、という方はポチッと。

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2007年7月12日 (木)

梅雨明け、ツーリング準備!

 晴れてみたり降ってみたり、何とも煮え切らない関東の梅雨ですね。週末あたりに台風に煽られた前線が活性化とのこと。相棒と14日~16日に予定していた横須賀逗子ツーリングの予定は、したがってほぼ消滅。従妹の再婚祝い(?)を兼ねていたので、秋に延期というところです。
 来週末は、とあるNGO団体のイベントに自転車で秩父まで。相棒(カミさんです)は熱中症の体質なので100 キロ越えのロングツーリングは無理。三鷹在住のツーキニスト青年をあてにしていたんですが、これも予定があるとのこと。埼玉の人で、いま私がスポーツ自転車を勧めている方が乗れないとなると、秩父まで単独行ということに。
 秩父までの走行距離はともかく、荒川CRの終点から先の行き方が私にはわからんのです。地図を見ながらたどり着くにしても、長距離の単独行には危険がつきもの。たとえば、スズメ蜂に刺されて気絶して、そのまま発見されずに死亡というような想像もしてしまうし、事故で怪我をして→運悪く携帯電話が破損→不幸にも近隣に人家なし→徒歩で病院に向かうも方角を見失いビバーク→翌朝、農道を散歩中の人に瀕死のところを発見される。ってな最悪の顛末も……。
 と、いろいろ考えても仕方がないので、準備だけは始めましたッ! Photo 写真はコールマンの保冷バッグです。中に見えてるのが500 ミリリットルのペットボトル(オレンジ色の飲み口はスポーツドリンクのおまけ)で、2本入るようになってます。
 保冷材の厚みは10ミリほどで、実験してみたところ気温25°の条件なら1時間は冷たいまま。保冷剤用のポケットが付いてるので、併用すれば30°越えでも2時間は大丈夫でしょう。この時季、ホントにボトルゲージに剥き出しの飲料水は使えません。ボトルに氷だけの保管でも、1時間半ほどでお湯になってしまうので、いきおいコンビニでの冷たいお茶補給。お茶は多少暖かくなっても飲めるんですが、利尿作用もあってほどほどにしないと困る。で、保冷バッグに保冷用のアルミ(壁が二重の)ボトルがあれば完璧な準備といえましょう。
 ちなみにこの保冷バッグは800 円、アメリカ資本の大型店スポーツオーソリティでゲット。真夏のサイクリングに水分補給は不可欠ですぞ。

スポーツオーソリティ松戸店
http://www.sportsauthority.co.jp/location/shop/j309.html

 あと、今いちばん欲しいのが写真のシューズ(PUMA CAT)Photo_32 Photo_33 なんですけど、じつはラルフローレンのシューズが健在で、買ってしまうとまだ使えるモノが放置される恐れも……。ところでこのプーマキャットのポーズの真似、あなたもしてみませんか? 手をネコのように丸めて、腰を落とした体勢からヌーッと伸び上がってみる。どうです、よく似てましたよ。

 というわけで、サイクリングの準備を始めている方にプロショップのご紹介を少しばかり。
 まずは、ルイガノの専門店(ほぼ2割引き)で私の愛車のディーラー、ウィングパウ。店長の池本さんは話好きでくだけた人ですが、自転車整備や改装のポイントはしっかりとしてます。小さな店舗が多いウィング店は安価な通販サイトも充実していますので、ルイガノを買うならこのチェーンと申し上げておきましょう↓。

ウィングパオ(ウィング北千住店)
http://www.o-wing.com/~wingpaw/

 私の地元(松戸)はプロショップが充実していて、スポーツ自転車ブームの昨今は古い店も新しい店も特色がいっぱいです。北松戸のスペース(URL参照)は、アテネオリンピック代表の鈴木真理選手が監督をつとめる実業団登録のレーシングチームが経営基盤で、いわばロードレースが業務の柱になっているようなショップ。みずからBR1(エリート級)レーサーである社長の佐藤氏が自転車関連の商社にいたこともあり、他では手に入らない海外ブランドのパーツやウェアも。アジダスのサイクルソックス(抗菌性=made in イタリア)なんぞは、どこのサイトや店舗を探しても見つからないはず。家族に薬剤師がいるとかで、プロテイン系やサプリメントにも強い。

スペースバイク
http://homepage2.nifty.com/space_bike/

 新松戸のサイクルセオ(下のURL)も、実業団の強豪チームを擁するショップ。この店の品ぞろえは一見に値します。パーツやアクセサリーはもとより、ほかではまず置いてないブルホーンバーなどもあって、さながらパーツの博物館。構えは小さな店なんだけどね。

サイクルセオ新松戸店
http://www.seo-smd.com/

 同じく新松戸から最寄りのサイクルランド(下のURL)は、フレームやホイールから鋳造の老舗。もっとも、プロの競輪選手が御用達の店だから、自転車造りの技術が評判なのは当然かも。私の場合はフレンチバルブのキャップが割れた時に、無料でキャップをいただきました(感謝)。
 じつは競輪選手はキャップをはずしているらしいですね、激しい走行でトラックに転がり落ちるのを嫌うんだそうです。で、フレンチバルブのキャップの頭を横に割ってしまえば、イギリス式(普通のママチャリ用)のポンプでも空気を入れられることを教えてもらった。この店にもノロッサというサイクリングクラブがあります。

サイクルランド(根本商会)
http://www.cycleland.jp/

↓サイクルベースあさひ(松戸には2店舗)。大阪から全国に店舗を展開中の最大手量販店(店員に関西弁が多い)です。取り扱いブランドはジャイアント、ルイガノ、自社ブランドなど。会員(サイクルメイト)に加入すると、部品が1割引きに。自転車やアイテム選び(通信販売)はトップ頁から。

サイクルベースあさひ(関東エリア店舗情報)
http://cb-asahi.co.jp/shop/index-kanto.html

↓松戸市常磐平のサイクルサービスおおやま。通販サイトが充実しているので、初心者の自転車選びには最適かもしれない。

サイクルサービスおおやま
http://www.cso.co.jp/shop.html

↓ヒラガ(葛飾区高砂)。ふつうの自転車屋さんだけど、骨董品的なパーツやアクセサリーが豊富に在庫(デッドストック?)しています。私は97年モノのフロントバッグをここで入手。サイトには丸石のランドナー、エンペラーに後輪用のダイナモを取り付けたのが掲載されていて、私もこれをルイガノに付けて欲しいなぁと思ったが、台座がないとダメだよと言われました。ま、他店で買った自転車を持ってきて、工賃に見合わない台座取り付けなんて徒労を頼むのも考えてみれば迷惑な話でした(すみません)。

サイクルショップヒラガ
http://www5a.biglobe.ne.jp/~s-hiraga/

 ほかにも、都内と千葉エリアの有名店を挙げておきましょう。URLは上から順に「なるしまフレンド」「ラバネロ」「セオ」(ベイエリア6店舗)「ワイズロード船橋」です。

なるしまフレンドHP
http://www.nalsimafrend.jp/
ラバネロ(タカムラ製作所)
http://www.ravanello.com/
サイクルセオ(ベイエリア合同HP)
http://www.seocycle.com/
ワイズロード船橋店
http://www.ysroad.net/shops/funabashi.html

 なるしまフレンドとラバネロはご存じのとおり、ともに実業団チームのあるクラブを持っています。どちらも創業社長のお人柄といいますか、アットホームは雰囲気のサイクリングクラブで、理想的な自転車店はこういうふうにあるべきなのだろう。と思わせますね。
 「セオ」(とくに船橋ららぽーと2店舗)と「ワイズロード船橋」は激しく、千葉県のサイクリストのメッカである船橋で販売競争中……? この巨大店舗たちが共栄共存できるほど、自転車愛好家が増えるといいんですけどね。

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2007年7月 4日 (水)

新刊・北越女人戦記第一部第五章「春日山入城」

いよいよ「北越女人戦記」第一部の完結です。販売サイトは↓。

北越女人戦記・第一部第五章「春日山入城」

http://www.digbook.jp/product_info.php/products_id/8730?osCsid=08d3c12a0e64d1e83f83a502c2570fab

(抜粋)

 この年の十二月、直江実綱や斎藤朝信らを先頭に、景虎は四千の兵馬をひきいて春日山城の城門を破った。
 山頂の屋形に陣を張る上田勢を前に、大見得をきって叫ぶ。
「やあやあ、わが兄上越後守護代長尾晴景様の名を騙り、府内を混乱に陥れた奸臣たちに告げる! われらは越後守護上杉定実様の名代として推参した者。すでに万軍の兵がわれらを供奉し、勝敗は決してござる! 名を惜しんで戦う意志あれば、この景虎がお相手しよう!!」
 この時すでに大熊朝秀の手配で、上杉定実が老体をおして春日山城内の晴景と談合に入っていた。景虎を晴景の養子にする形で和解し、兄が妹に家督を譲るのことである。
 勢いを得た景虎は、みずから城門の櫓に立って上田勢に最後通牒を申し渡した。
「もし、心あらためて越後守護定実様の命に従う者あれば、すべからく所領の安堵し、忠君の者として称賛されるべし。やあやあ、降伏されよ! われらは今宵にも総攻撃の用意あり!」
 翌日、宇佐美定満らの上田勢は武装解除して春日山城を下りた。諸公に奉じられて景虎が入城したのは、年末のことだった。
 久しぶりの兄妹の対面に、景虎はあえて騒乱の裏舞台を口にしなかった。
「そのようにやつれられて、まことにおいたわしいことです、兄上様。わが思慮と武力が足りぬばかりに、春日山城を奸臣どもに乗っ取られ、まことに申し訳ない次第でした。このうえは、兄上様の子として忠勤に励み、越後一国の安寧のために働きます」
 と、景虎が一方的に言上した。
「兄上様、ならびに母上様の諫言にもかかわらず、景虎は上田殿とのことをなおざりに、短慮なことばかりしてまいりました。わが非、もって責められるべき。どうかどうか、この景虎をお導きください」
 まるで神仏に祈るかのような言上に、やつれ顔の晴景は頷くばかりだった。

※上杉謙信女性説については、こちら↓を御照覧ください。

http://www.digbook.jp/product_info.php/products_id/8523

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